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2012/11/14

報恩講へ行ってきた

 過日、近所のお寺で催された「報恩講」へ行ってきた。
 住職には前々から参加を勧められていたのだが、今一つ、腰が重い。

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← 冬対策(というより隙間風対策か)で、玄関口と廊下(フロアー)の間に断熱カーテンを設置。風を通さないように!

 実際的には、労働時間(拘束時間)がやたらと長い、しかも実入りの少ない仕事ゆえ、在宅の時間、自由になる時間が極端に少ない。
 一旦、報恩講へ行ったなら、世話役になる可能性もあるし、そうでなくとも、数時間はお寺に居ることになる(夜と翌日の昼にも行われるのだが、隔勤の小生には、両方出るのはもとから無理)。

 報恩講自体は、二時間も要するわけじゃないが、世話人となったりすると、事前の準備もだが、講が終わった後も、飲み会となるのは必定(それが楽しみなのかも)。
 実際、行ってみたら、飲み会があって、帰りは酔われて体のふらつく高齢の方をご自宅まで送ったこともあり、帰宅は十一時半となった。

 翌日早朝の六時には起きて、食事、七時前には仕事へという小生には、これはきつい(きつかった)。
 今のお寺の世話役の方は、皆さん父と一緒に活動された方が多く、高齢。
 引退し、次の世代の方に引き継ぎたい意向がある(のは、重々、知っている)。

 でも、一応は仕事があるし、しかも、拘束時間が最低でも週に六十時間、時には八十時間の小生には、会社でも地元で(町内会)でも、活動に割ける時間は限りがある。
 年金生活ともなれば、別だろうが、年金はもらえるものやら。

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→ カーテンを開けると、いつもの壁、額入りの絵、花立、廊下が垣間見える。

 報恩講のお勤めが終わったあと、滑川から招かれた住職による講和があった。
 有名な方らしいが、名前を失念した(メモするのを忘れた)。

 この世に何するために生まれたのか。
 それは、浄土へ行くため。

 人間は、身、口、意(「しんくい」と読む)三業がある。
 身には殺(せっ)生(しょう)・偸(ちゅう)盗(とう)・邪(じゃ)淫(いん)、口に妄語(もうご)・綺語(きご)・悪口(あっく)・両(りょう)舌(ぜつ)、意に貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚癡がある。
 人間は、死に至る最後までこれらの業(ごう)から逃れられない。
 多くの宗教は、仏教においても、竜樹などのえらい坊さんにしても、濁世から救われるには、何かしらの欲を断ち切れ、迷いを断て、という。

 でも、大概の凡夫には、そんなことは無理。
 そんな中、阿弥陀仏さまだけは、凡夫は凡夫のままに、救いたいと考えた。
 弥陀の第十八願である。
 阿弥陀仏さまは、救いの手を差し伸べられた。
 それを「招喚(しょうかん)」と呼ぶ。
 招き、喚している、というんのである。親鸞は、この「喚」の傍注に、「呼び起こし、呼び戻す」と付したとか。

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← 茶の間の出窓にも、断熱カーテン。カーテンの後ろの出窓には、断熱シート、さらに本棚(カラーボックス)などを置いて、冷気の侵入を防いでいる。左手前の黒いものは、リクライニングチェアー。読書と主に、居眠り用。


 親鸞は、九歳で出家し、比叡山へ上った(後年、師である法然を慕うようになるが、実際には、親鸞が上った年、法然は下山した)。
 親鸞は比叡山で二十年、修行したが、凡夫の身を思い知るばかりだった。
 三郷からは逃れられない我が身。
 自力では、叶わぬ救い。

 そんな中、阿弥陀さまの教え、特に第十八願にこそ、凡夫の救いを見つけた。
 阿弥陀さまが救いの手を差し伸べられている。
 凡夫はその手に縋るしかない。
 だかこそ、他力本願なのだ。

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→ 茶の間と隣の台所との間にも、断熱のためのカーテン。


 他力でしか救われない業の存在たる人間は、阿弥陀さまに帰依すること、そうすることによって凡夫は三郷に苦しむがままに救われる、浄土へ行ける、と考えた。
 だからこそ、南無阿弥陀仏という六字の名号を唱えるわけである(南無とは、帰依する、という意味がある)。
 
 偉い坊さんのありがたい講話を、こんなに簡単に纏めては、元も子もないが、小生のおおよその理解は、かくなるものだから、仕方がない。

 思えば、高校時代、文学ではジェイン・エアのシャーロッテ・ブロンテやドストエフスキー、哲学ではデカルト、心理学ではフロイトらに傾倒したが、宗教では親鸞だった。
 読み漁ったとか、勉強したとは到底、言えないが、親鸞の考えは納得できるものだった(当時は、やや情緒的に理解していたキライがあったようだけど。実際、『教行信証』はチンプンカンプンで、『歎異抄』を感傷的に読んでいただけだった)。

 つまり、人間は死に至る業の存在。
 救いは、誰よりも切実に求める人にこそ、与えられるべきもの。
 報恩講での講和には出なかったが、悪人正機の思想は、かなり強烈な印象を受けた。

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← 台所の出窓にも、窓際に断熱のためのシートを張り巡らした。シートといっても、風呂用の湯船のカバーを流用したもの。


 大学時代、下宿の仲間などにクリスチャンの方が多く、教会へも誘われて何度か行った。
 たまに、話が実にうまい牧師が招かれて講演することがあった。
 話に熱中し、最後に牧師の信心への誘いがあったが、ギリギリまで一歩踏み出すかどうか、迷っていた。

 ほんの一押し、背中を押されたら、少なくとも一時はクリスチャンの自分がいたかもしれない。
 瀬戸際、ギリギリの土壇場で踏みとどまったのは、親鸞の教え(と勝手に自分が思っているもの)があったからだとしか言えない。
 凡夫の自分は、最後まで業の人なのだという自覚が自分をこの世に踏みとどまらせたのだ。

参考:「報恩講

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コメント

報恩講、浄土真宗ならではですね。
親鸞の偉大さは、廻向の思想にあると思う。
浄土に行っても、悩める人を救うため、此の世に帰ってくるわけですね。
親鸞の本でも、浄土真宗親鸞会の高森の、なぜ生きる、とかは絶対読んじゃダメですね。
人生の目的は絶対の幸福を得るにあり、そこには、悩める他人をも一緒に救済しようと言う視点が全くありません。

投稿: oki | 2012/11/15 23:44

okiさん

報恩講、富山など、浄土真宗の影響の大きい地域ならではの営みなのでしょうね。
東京に暮らしていたころは、帰省の折、父母に話を聞くだけで、自分には現実味が乏しかったものです。
住職への義理もあり、自分が参加するとは夢にも思わなかった。

親鸞会は結構、力を持ってきているらしい。お金も潤沢なのかな。

昔からの真宗門徒は、地味なものです。
同時に、世代交代もあって、報恩講にしても、若い人の参加は少ない。
小生にしても、ロートルですからね。

投稿: やいっち | 2012/11/17 18:35

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