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2012/11/19

むすんで ひらいて余聞

     「むすんでひらいて」(作詞不詳・ルソー作曲/文部省唱歌)
 

   むすんで ひらいて
   手を うって むすんで
   また ひらいて
   手を うって
   その手を うえに(したに)
   むすんで ひらいて
   手を うって むすんで

 この歌を知る人は老若男女を問わず多いのではなかろうか。子どもの頃は学校で歌わされた記憶もあるだろう。
 歌いやすいし、覚えやすく、親しみやすい歌の一つだ。文部省唱歌にはいいのが沢山、ある。この頃も学校では何か新しい歌が生まれ、歌われているのだろうか。
 この歌の曲は上記のように、ルソー曲だということを知る人は少なからずいるのかもしれない。小生は味噌時を…、じゃない、三十路を越えるまで知らなかった。
 えっ、ルソーが作曲したの、あの堅物のルソーが。画家にアンリ・ルソーがいるから、こっちのほうじゃないの、と思った。

 そう、我輩は、自慢じゃないが、長い学校生活において音楽の成績が通信簿の5段階評価で2を越えたことはないのだ(云っておくが、上が5だよ。上から2番目の成績で、どうしても1番目にはなれなかったって、自慢しているわけじゃない…、トホホである)(大体、我輩が歌っても、我輩の音程通りに楽譜が書いてある教科書がないんだもの…独り言)。
 だもんで、歌うことは歌ったかもしれないが(我輩はご幼少の砌より演歌一筋だったのだ)、教科書など眼中になかった。後年、長じては、それなりにルソーの諸著の読者ともなっていた我輩が、或る日、この歌がルソー作曲だと紹介されているのを読んで、えー、そうだったの?! とルソーを見直した次第である。
 フランスの思想家であるルソー(Jean-Jacques Rousseau)(1712-1778)が作曲! しかも、こんなに親しみやすい歌を。へえー、である。

 小生の愛読書の一つである『孤独な散歩者の夢想』(高校時代の夜の友だった)や『エミール』(フリーター時代に読んだ)とか、『人間不平等起源論』、『社会契約論』など、めぼしい作品は読んでいる。
 その『エミール』は、云うまでもなく教育論の書であり、近代の教育学の古典とも呼ばれる書である。長いが、じっくり読むに値する本だと思う。

 その大作を書いたルソーは、彼が32歳の頃に知り合った女性(テレーズ)との間に出来た子ども5人を、生れたそばから孤児院に預けている。時代背景が違うとはいえ、我々には理解を超える処置だ。
 尤も、ルソー自身、赦されざる暴挙だったと、『告白』の中で述べている。その「告白」によると、彼は、実は、『エミール』という教育論の書を書いている一方で子どもを作り、次々に子どもを孤児院に預けていたのだと分かる。これでは、真剣に書かざるを得ないわけだ。彼自身、生後9日頃に母親を失っている。父の妹に育てられたという。

 そう、そんなルソーだからこそ、罪と悔恨の意識で子どもへの罪滅ぼしの意味合いもあって、こんな曲を作ったのか、と勝手に思い込んだりしたのだ。
 しかし、話は、そんなに簡単ではない。そもそもルソー作曲と称するにも(証するにも)なかなか問題があるのだ。そして興味深い逸話もある。その詳細は、下記のサイトが詳しいし、読んで面白い:
 クローズアップ「むすんでひらいて」 「むすんでひらいての謎 ドナドナ研究室


 さて、この歌は、赤トンボの歌同様、誤解を生みやすい歌詞でもある。「また ひらいて」で、思わず、股を開いてみたりとか、まさか、さすがに「むすんで」と歌って、ホントに手を結ぶお馬鹿さんもいなかったろうけど。そんなことしたら、解けなくなるよ、というか、その前に結べないよね。
 そういえば、何時だったか、「むすんで ひらいて」を「盗んで、開いて」って、つまり万引きか窃盗の歌で、まんまとせしめてきた戦利品を楽しみに開く歌として歌っていた奴がいたけど…って、これは、真っ赤な嘘。
 まして、「手を うって むすんで」という歌詞から、ヤクザの手打ちの儀式の際に、居並ぶ黒服の幹部連中を前に指名された誰かが朗々と歌う歌に違いないと言った奴もいた…、なんてのは、もっと馬鹿な嘘だよ。

 ところが、これまた、小生の迂闊なところ、頓珍漢なところ、早とちりなところなのだが、作曲と明記してあるのに、作詞もルソーなのだと思い込んでしまったから、ドツボに嵌って、さあ、大変だ。
 実は、その同じテキストだったか、他の雑誌で読んだのか忘れたが、この「むすんで ひらいて…」は、ホントはイヤラシイ歌なのだ、と書いてあるのを読んだのだ。

 えっ、いやらしい! そう、聞いては黙っちゃおれない。小生は改めて歌詞をじっくり味わって読んだ。
 そうだ! ユリイカだ! これは、なんと、男女の交わりの歌、合体の歌そのものじゃないか! 結んで開いてだって、ああ、いやらしい(ああ、したい)。相手の体を押さえつけて、両手を上にやって、そして、むすんで、ひらいて…。おまけに、「また、ひらいて」なんて、そこまでリアルに歌っていいのか! 子どもたちにこんな不謹慎な(ある意味では教育的だが)歌を堂々と歌わせていいのか! 俺は恥ずかしいぞ! 上になったり、下になったり…って、そこまで書いてないよね。

[閑話休題、緩和興奮]

 そうか、ルソーって助平な奴だったんだ。
 そうだよね。子どもを次々に何人も作るんだし、結構、優男風だし、女に持てたんだろうし。きっと、子供の頃は、可愛い男の子だった…、ということは、稚児好きの小父とか近所の偉い方とかに可愛がられたりしたかもしれないし、あるいは面倒見のいい小母さんに親身に深見に珍身に慈愛を注がれたかもしれないし。

 でも、半面、潔癖症のルソーは、そんな生活が嫌で嫌でたまらなくて、それで、後年、堕落した人間(自分)を救うべく、教育論を熱心に語り、あるいは、「自然に帰れ!」と叫んだのだろうし、それはそれで真剣だったのだろう、なんて、深読みを小生はしたのだった。

 もう、いい加減にしろだね。「むすんでひらいて」は、仮にルソーが作ったとしても、それは作曲なのだと、ちゃんと教科書に書いてあるのに、作詞者不祥の文字が不肖な我輩では、眼中に入らないんだね、これが。ま、小生の性分だから、仕方ないっちゃ、仕方ないんだけど。

03/03/21 原作)(拙稿「むすんで ひらいて…」参照のこと)


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コメント

そんなルソーによって目を開かされたのが、哲学者カントですね。私は人間を尊敬することを学んだ、ってカントってかなりの人間嫌いなんですよね。
音楽の成績が悪いのは自分も同じ。音楽と美術ですね。
今は絶対評価だから、できなくても4とかつくのでしょうが、相対評価の時代はねえ。因みに体育で1もらったことも。

投稿: oki | 2012/11/19 22:12

okiさん

人間嫌いのカントがルソーの本を読んで蒙を開かれたというのも、いかにもカントらしいエピソードですね。
実際の人間関係から人間や生命、自然、宇宙への驚異の念を持つにいたるのが凡人ということなのでしょうか。

音楽は(曲を聴くのは歌うのも含め好きだけど)、成績は悪かった。通信簿で2よりいい評価はもらったことがなかった。
音楽の時間は、苦痛でした。
音楽は好きだったけどね。
学生時代、ピアノ教室に通ったのは、いい体験になったし。

大学の成績。
ある科目以外は、ラテン語も体育も含めオール優でした。
でも、肝心の哲学が可!
哲学科だったのに。
我が強すぎたんでしょうね。

投稿: やいっち | 2012/11/21 18:21

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