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2012/11/18

雨の夜に満月

 過日、不思議な気象に遭遇した。
 天気雨ならぬ雨満月である。
 天気雨というのは、「晴天にもかかわらず雨が降っている状態を指す」言葉であり、必ずしも、珍しくはないだろう。

Art031

 また、三日ほど前、虹を見た。雨模様のぐずついた天気の一日だったが、束の間の晴れ間に、北の空に虹を見たのだ。
 でも、虹にしても、珍しくはないだろう。
 頻繁に出会うわけでもないけれど、何か嬉しくなる。夢それともファンタジーの感を覚えるからだろうか。

 さて、過日、際会した空模様とは、上記したように、雨満月である。
 その日は、日中も夜も、雨模様のぐずついた天気の一日。夜になっても雨だった。
 が、富山駅にたどり着いて、車を止めたら、東の空に満月が垣間見えたのだ。
 雨なのに満月とは。
 実際には、満月の翌日なのだが、ほぼ満月だった。
 まあ、考えてみれば、自分がいた場所には雨が降っていた(空には雨雲があった)わけで、東の空の一部、ちょうど自分が眺める東の空の一角に雲の切れ目があり、そこに満月が顔を出したというだけのことだろう。
 それでも、一般にどういう呼称なのか知らないが、雨の夜に満月を見たのは、厳然たる事実なのである。
 まだ、ブリ起こしの雷もならず、晩秋とも呼べない日だったが、数日後には寒気団が下りてくると予想されていた。
 ふと、真冬の夜の月を書いたころの心境を思い出してしまった。

Art5


真冬の夜の月

 真冬の月は、冴え冴えとしていて、真っ白に輝いているというより、時には酷薄なほどに蒼白だったりする。まさに磨き立てられた、裸の心と体を映す鏡だと思われたりする。
 真ん丸の、曇りのない鏡は、魂の底の底まで、隅の隅まで射抜くような強烈な光を放つ。月は地上世界の誰をも、どんなものをも照らし出しているはずなのに、一人、真夜中過ぎの人気のない公園に立つと、まるで自分一人のために照っているような錯覚を覚える。
 不思議なのは、太陽だって、例えば、地平線の見えるような荒野に立てば、そうした己のみを焼き焦がす、というような錯覚を覚えてもよさそうなのに、そうはいかない。全く、別の感懐を抱いてしまう。
 何故なのかと考えていくと、そこには夜の闇という衣装というか衣裳のせいだと気付かされる。夜の帳(とばり)が地上世界の全てを覆ってしまう。限りなく漆黒に近い、だけれど、何処までいっても暗黒には至ることはないのだろうと予感させる、不思議な衾をこの世のあらゆる風物と共に我が身も羽織ってしまうのである。
 藍色の世界、凍て付いた紺色の闇の海の底の沈黙のざわめき。世界が一色に染まって、そうして月と己とのみが対峙しているような、眩暈に似た感覚。己が何処へ立ち去ろうと、そこには月の光が待ち受けていて、魂の鏡に我が身と心を晒すように促されてしまう。闇に雑念も光景も沈み込んでしまって、浮かび上がるものというと我が身と心しかないのだから、詮方ないのだろう。
 真冬の夜の月は、照っているのは、月ではなく、赤裸の己なのだと悟らせる。だからこそ、凄みを帯びて見えてしまうのだろう。
 未明の公園でしばしの休憩を終えて、もう一仕事する。気がつくと、あれほどの闇は次第に透明度を増し、やがて星も月も消し去ってしまう。
 もう、月も姿を消した、仕事も終わりだと思っていたら、眩くなり始めた低い空にポッカリ月が。有明の月! それとも残月? もしかしたら名残の月と呼ぶべきなのか。どうしてこの期に及んでまで月が…。何か見詰め足りないものがあったというのだろうか。そんな後ろ髪の引かれる思いのままに都会の路上という我が仕事場を去っていくのだ。


(「真冬の夜の月」(04/02/08 記)より抜粋。なお、文中の画像は、「La Moon」より。「蒼白の刃」参照。)

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