藤村『夜明け前』を読む(2)
家の内外共に何やらせわしない。
会社では組合のトラブル、家では近所付き合い、そして家事。
組合の件は、真相が掴めないので、ここではうんざりしているという気持ちだけ、メモしておく。
会社もだが、近所付き合いも大事で…といっても、できる限り逃げ回っているのだが、それでも生来のお人好しが祟ってか、全く付き合わないわけにはいかない。
ありがたいことも、多々あるし、一人で何でもできるような人間でもないのだ。
家事も多忙。
冬に向かって、庭木の手入れやら落ち葉広いやら、庭の整備やら、家の中では、隙間風を少しでも防ごうと、カーテンを吊るしまくっている。
効果はどれほどなのか、数値で測っているわけじゃないので分からないが、夏場、サンシェード作戦が功を奏したように、家の中の断熱カーテンや断熱シートも、一定の効果があると思いたい。
さて、選挙戦が始まっている。
旧勢力である、自民や民主などの政党に、維新などが対抗しようとしている。
政党の乱立は、何やら不穏でさえある。
一方では、民主主義だからこその乱立だと云えるが、ある意味、一般市民も先行きが見えないし、迷っていることの表れなのだろう。
ただ思うのは、維新などといった勇ましい掛け声やイメージ、ムードに流されてはならないということである。
藤村『夜明け前』を今、読む、ということで、先週より、島崎藤村の『夜明け前』を読み始めている。
読みづらいという声も仄聞されるこの大作。確かにそこらの読みやすい時代小説とは違う。
骨太の、ごつごつした、ぬかるみも湿地も荒地もある道。
徒歩で山道を歩いているように、少しずつ少しずつ。
「藤村『夜明け前』を今、読む(2)」
攘夷を叫ぶ京の都の意志、それに反し、異国への開放はやむをえない選択だという幕閣の一部の現実的認識。その両者が強烈に綱引きを演じている。一体、どちらへ楫を切ればいいのか誰にも正解は分からない。
あくまで現実を冷静に認識したものが、目先の利害に囚われず更には国賊という批難を甘受しつつ、選択をするのである。どっちを選ぶべきか。
ペリー来航という国難の時、老中安部正弘は部屋住(一番下っ端の役人)の岩瀬忠震(いわせただなり=1818-1861)を抜擢し、1854年のペリー再来航の時には岩瀬を目付けに任じ、海防・外交の一線に立たせた。
岩瀬は開国政策を進言し、また推進した。「1856年、アメリカ使節ハリスの来日にあたっては、開港・通商のやみがたきを説き、下田奉行の井上清直とともに全権に任じられて日米修好通商条約の締結に尽力した」。
が、堀田正睦(まさよし)と共に上洛したが、条約の勅許が得られず、ついに勅許を待たずに58年に井伊直弼によって調印に至るのである。彼はオランダ、ロシア、イギリス、フランスとの間にも童謡の条約を結んでいる。
将軍の継嗣問題で大老の井伊直弼に疎まれ、蟄居を命じられる。彼は勝海舟らの人材を登用してもいる。尚、蟄居の際も、井伊直弼は岩瀬の功績は認めていた、その証拠に上記したように井伊大老も勅許を待たずに条約に調印せざるをえなかったのだから。
条約を締結しなかったなら、諸外国は幕府を飛び越えて諸藩と勝手に通商しただろうし、やがては国家が分裂して、欧米列強の植民地となっていたことが十分に考えられる。
が、それは後知恵であって、天皇の意に反して外国に門を開くとは言語道断の所業と攘夷派の連中には映ったに違いない。実際、大老井伊直弼は桜田門外にて斬殺されている。
ところで、『夜明け前』の中の青山半蔵も平田篤胤の門弟として、断固夷狄(いてき)の排除を主義としている。木曽の山深くに住んでいて、異人が浪人によって殺害された事件など旅の人から近況を断片的に耳にする半蔵は気が気でない。それでいて半蔵は旧家の人間であり、本陣の長男として跡取なのである。勝手に家を開けるわけにはいかないのだ。
まずは目の前にある仕事を処理していかなくてはならない。例えば、宮中より孝明天皇の妹和宮親子(ちかこ)内親王の徳川家への降嫁である。これは勅許を経ない日米就航条約の調印や将軍継嗣問題などでの朝廷と幕府との関係の悪化を修復するため、「公武合体」の象徴として画策されたものである。
ところで、その和宮内親王が木曽街道を通って江戸へ下るというのである。当然、陣屋の主である(父は既に腰を引き気味になっている)半蔵は、多くの人手を集めたり、様々な資材の準備(馬の手配)など、とにかく膨大な雑務に忙殺されるわけである。
実際、多くの人足が過酷な労働に倒れていったし、既に徳川の威信が地に落ち始めている昨今では、徳川のためとはいえ、無条件に働く意志も萎え始めているのである。
が、本陣の主人としては遺漏なきよう図るより他に半蔵には為すすべがないのである。
ところでそうした煩雑な労務を果たし、ほっとしている最中、半蔵は知り合いから役人にたんまり賄賂を要求されたと聞く。役得とはいえ、絞られるのは半蔵とて憤懣やりかたない。 が、そうした一切を含めてが道中の本陣を預かるものの役目なのだった。
やがて大きな勤めも終えた頃、ついに先代の父がお役御免をようやく許されることになった。つまり半蔵が正式に本陣の主となったわけである。多くの人に祝福される中、そうはいっても、半蔵は素直には喜べない。彼には本懐があるのだから。
その一方で、参勤交代の制度が実質的に廃止され、井伊大老などが処分を受け、二度に渡る江戸城の大火による出費の中、新しい幕府の布陣によるオランダ留学生の派遣の噂が聞こえてくる。世の急激な変化は凄まじいものがある。
(01/07/16)
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