藤村『夜明け前』冒頭に「安政東海地震」が
今日、雨の中、哲学者・高橋哲哉氏の後援会へ行ってきた。
出不精の小生だが、恩ある方に誘われたし、同氏には以前より関心があり、著書も少なくとも一冊は買って読んだことがあり、肉声をきくのもいいと思い、でかけてきた。
→ 「安政の大地震絵図。江戸地震の惨禍」 (画像は、「安政の大地震 - Wikipedia」より)
同氏は、富山の有志の方が呼ばれることもあって、年に何回か来富しており、今年も二回目だとか。
後援会については、後日、時間が取れたらメモしておきたいと思う。
さて小生、島崎藤村著の『夜明け前』を読み始めている。
なかなか集中して読めないことにフラストレーションがたまり気味だが、それでも、長い山道、峠道、街道を歩くつもりで、気長に読み進めていく。
年内には読み終えられるだろう(← 希望的観測)。
島崎藤村著の『夜明け前』は、十一年ぶりの再読だが、冒頭付近に気になる記述があることに、今さらながら気づかされた。
それは、安政の大地震のことである。
当時は、富山にも、時に安政と関せられる巨大な地震が、それほど時間を置かない形で発生していたことを知らず、読み流してしまったようだ。
← 島崎藤村著『夜明け前 第一部上』(岩波文庫)
尤も、言うまでもないが、小説『夜明け前』では舞台が(最初のうちは)馬篭などなので、実際には東海地方での大地震であり、「安政東海地震」と呼称される(「この地震は嘉永年間末に起きたが、この天変地異や前年の黒船来航を期に改元されて安政と改められ、年表上では安政元年であることから安政を冠して呼ばれる」)。
「約32時間後に発生した安政南海地震と共に一連の東海・東南海・南海連動型地震として扱われ、安政地震、安政大地震とも総称される」ものだ。
翌年には、いわゆる「安政江戸地震」が発生している(一般には、安政の大地震というと、江戸を見舞った安政の大地震を指す)。
つまり、「安政の大地震は、江戸時代後期の安政年間に日本各地で連発した大地震」なのだが、「世にいう「安政の大地震」は、特に1855年に発生した安政江戸地震を指すことが多いが、この前年に発生した南海トラフ巨大地震である安政東海地震および安政南海地震も含める場合もあり、さらに飛越地震、安政八戸沖地震、その他伊賀上野地震に始まる安政年間に発生した顕著な被害地震も含めて「安政の大地震」と総称される」わけである。
この一連の「安政の大地震」が、ロシアやアメリカの船の出没に拠る不安もあり、世に社会不安を蔓延させ、幕末の政変への民衆のエネルギー源になったと主張する評論家もいる。
昨年、東日本大震災が発生したが、これだけ大規模な地震となると、地下のひずみ(ひずみに伴うエネルギー)は各所に蜷局していて、日本列島の各地で巨大な地震がこの数年あるいは十数年の間に連発するのでは、なんて不安をぬぐえない。
富山についても安政の飛越地震に伴う立山の崩壊で土砂(岩石)が溜まっており(それゆえ、現在も砂防工事が延々と続いている)、来る巨大地震での再度の崩壊が懸念される。
下手すると富山平野全部を崩壊し流出した土砂が埋め尽くすやもしれないのだ。
→ 「立山大鳶山抜図」 (画像は、「日本地震学会:なゐふる:vol.29 (5-8) 絵図から情報を汲む 第4回 飛越地震と大鳶崩れ」より。拙稿「飛越地震から150年」参照のこと)
参考のため、「安政の大地震 - Wikipedia」より、安政の頃の地震を中心にした年表を転記しておく:
安政以前 1847年5月8日(弘化4年3月24日)- 善光寺地震。
1853年3月11日(嘉永6年2月2日)- 小田原地震。
1853年7月8日(嘉永6年6月3日)- ペリー来航。浦賀沖。
1853年8月22日(嘉永6年7月18日)- プチャーチン来航。長崎。
安政年間 1854年3月31日(嘉永7年3月3日)- 日米和親条約締結。
1854年5月2日(嘉永7年4月6日)- 京都大火。禁裏より出火、炎上。
1854年5月17日-(嘉永7年4月21日-)- 下田了仙寺対談。ペリーと幕府側との通貨交換率の交渉。
1854年7月9日(嘉永7年6月15日)- 伊賀上野地震。
1854年12月23日(嘉永7年11月4日)- 安政東海地震(巨大地震)。津波でディアナ号遭難。
1854年12月24日(嘉永7年11月5日)- 安政南海地震(巨大地震)。
1854年12月26日(嘉永7年11月7日)- 豊予海峡地震。
1855年1月15日(安政元年11月27日)- 安政に改元。曳航中ディアナ号座礁。4日後に沈没。
1855年2月7日(安政元年12月21日)- 日露和親条約締結。
1855年3月18日(安政2年2月1日)- 飛騨地震。
1855年9月13日(安政2年8月3日)- 陸前で地震。
1855年11月7日(安政2年9月28日)- 遠州灘で地震。東海地震の最大余震。
1855年11月11日(安政2年10月2日)- 安政江戸地震。藤田東湖・戸田蓬軒圧死。
1856年8月21日(安政3年7月21日)- ハリス下田に総領事として着任。
1856年8月23日(安政3年7月23日)- 安政八戸沖地震(巨大地震)
1856年10月7日(安政3年9月9日)- 下田御用所にてハリスと幕府側との通貨交換率の交渉。
1856年11月4日(安政3年10月7日)- 江戸で地震。
1857年7月14日(安政4年閏5月23日)- 駿河で地震。
1857年10月12日(安政4年8月25日)- 芸予地震。
1857年12月20日(安政4年11月5日)- 吉田松陰が松下村塾を引き継ぐ。
1858年4月9日(安政5年2月26日)- 飛越地震。
1858年7月8日(安政5年5月28日)- 八戸沖で地震。
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コメント
ご存知のように、今日東京で、直下型地震がありました。
天災は忘れた頃にやってきます。
それはそうと、高橋哲哉さんですか。
東大駒場の人ですね。デリダとかやっていたと思ったら、何時の間にか時事問題にも積極的に発言されるように。
駒場祭で、禁酒だとか、今の学生は素直なのかな?
僕らの時代は権威への反発凄かったですよ。
高校で、生徒会長とかやっていたのが、東大くるからね。
投稿: oki | 2012/11/24 22:32
okiさん
高橋哲哉さん、時事問題に関わるようになって、小生も彼の本を読むようになった。
その前のいかにも俊英といった彼ではなく、現実の問題に関わる中で哲学しようとしているのでしょう。
今の学生の実態はあまり知りません。
会場でも、若い人より、主婦や高齢者の方が多かった。
原発などで生活や生命が脅かされて、やむに已まれずといった方が多いように感じました。
政治の失敗がモロに現実に反映する、政治に無関心ではいけないということなのでしょう。
実際、原発(エネルギー)政策をどうするか、悩ましい問題です。
okiさんは、原発政策は以下にあるべきだとお考えでしょう。
幼い子供からの心臓などの臓器移植、出産前診断の是非、体細胞からの卵子や精子の製造の可否、倫理問題などなど、科学者や技術者にだけ任せては済まない問題が増えている。
ここにこそ、哲学の出番があるように思えます。
投稿: やいっち | 2012/11/25 22:02