藤村『夜明け前』を読む
今日から島崎藤村の『夜明け前』(岩波文庫)を読む。
この大作を年内に読み終えられるかどうか、分からないが、久々にじっくり読みたい。
年末には選挙がある。第三極だか何だか知らないが、維新なる言葉が持てはやされているようだ。
← 「藤村記念館」
だからって、幕末から明治維新にかけての物語を再読しようというわけじゃない。
惜しくも亡くなられた評論家の篠田一士が彼の著『二十世紀の十大小説』の中で、日本から唯一、藤村の『夜明け前』をリストに加えている…から読むってわけでもない。
読みたいから読む。
それだけである。
十一年前、本書を読んだ際は、あらすじをメモしながら、じっくり読んだ。
今度は、読むことに専念する。
(ここからは過去記事からの転記)
まず、タイトルの『夜明け前』について、触れておきたい。あまり、このタイトルの意味合いを忖度する人はいないようだが、それなりに思い入れ深いものが、この表題にあるように思われる。それは当然、テーマとも関わってくると思われる。
「夜明け前」、それは字義からして、幕末から維新の混迷の時代という闇夜が明ける前ということだろうが、同時に島崎藤村がクリスチャンだったことを鑑みると、やはり『聖書』から採られた言葉だと思うのが自然なのではないか。『旧約聖書』の「詩篇130:5-6」に、「私は主を待ち望みます。私のたましいは、待ち望みます。私は主のみことばを待ちます。私のたましいは、夜回りが夜明けを待つのにまさり、まことに、夜回りが夜明けを待つのにまさって、主を待ちます。」という言葉が出てくる。
夜が明けるのは、間違いない。しかし、その夜が明けるまでには、長い長い時間の過ぎるのを待たなければならない。それまでは、辛い夜警の任務に耐えなければならないのだ…。
小生は、このことに、ジョージ・エリオットの『サイラス・マーナー』(土井治訳、岩波文庫刊)を読んでいて、文中に「夜明け待つ」という聖書の言葉が引用されているのを見て、思い至った。さて、穿ち過ぎなのだろうか。
[以上、(04/04/28 追記) より抜粋]
ちなみに『夜明け前』の有名な冒頭部分を少し以下に引用しておこう:
木曽路はすべて山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。
そういえば、ボヘミアン」で有名な「歌手・葛城ユキさんの曲に、『木曽は山の中』がある。
一番目の歌詞を示しておくと:
春が来ましたお風呂場の窓の外の
遠くに見える あれば恵那の山の
淡雪がやけに目にしみて
苦しいことなど そのうちに解けるだろう
人待ち顔の店で甘酒飲む
やるせない味も変わるだろう
木曾は山の中です 誰も来やしません
だからあなたに会いたくて熱くなるのです
吾輩が学生だったころにヒットした曲。「木曾は山の中です 誰も来やしません」という下りが妙に印象に残っている。
当時はまだ、藤村の『夜明け前』は読んでいなかったはずなのだが…
← 島崎藤村著『夜明け前 第一部上』(岩波文庫)
妻籠宿は、中山道木曽11宿の1つで、美濃から、木曽路に入って2つ目の宿である。妻籠の本陣は、代々島崎氏が勤めていた。島崎藤村は、南隣りの宿場町、馬籠の島崎家で生まれ、母の里である妻籠の島崎家へも馬籠峠を越え8キロの道をいく度も通った妻籠宿は、中山道木曽11宿の1つで、美濃から、木曽路に入って2つ目の宿である。妻籠の本陣は、代々島崎氏が勤めていた。島崎藤村は、南隣りの宿場町、馬籠の島崎家で生まれ、母の里である妻籠の島崎家へも馬籠峠を越え8キロの道をいく度も通ったことであろう。“木曽路は、すべて山の中である”で始まる小説「夜明け前」は、この地が舞台のものがたりである。
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コメント
壺中山紫庵様。
TBをありがとうございました。
島崎藤村の大作「夜明け前」を読んだのは、ずいぶん昔になりました。
確か高校生の時でしたか、あの頃、ひどく読みにくい作品で、とても苦労したことだけは、はっきりと覚えております。
重厚な作品ですが、そんなに、スラスラ読めるような小説ではありませんでしたね。
投稿: Julien(徒然草) | 2012/11/21 10:45
Julien(徒然草)さん
コメント、ありがとう!
勝手にトラックバックして失礼しました。
島崎藤村の大作「夜明け前」は、確かに最初は読みづらく感じるかもしれない。
でも、小生にしても、読書体験を重ねる中で、読み込む力が多少はついたようで、十年ほど前に読んだときは、日本では稀有な作品だと痛感しました。
Julien(徒然草)さんも、高校時代とは読解力も成熟して、今読めば違う感想が出てくるかもしれない…なんて。
投稿: やいっち | 2012/11/21 18:13