太閤山という地名
富山の地名などについては、折々(ほとんど帰郷してからだ)本ブログにて話題の遡上に載せてきた:
「富山の難読地名あれこれ」
「「アラヤ」という地名のこと」
「富山市豊田そして「豊(とよ)」のこと」
ほかに、「有磯海サービスエリア - Wikipedia」によると、「有磯海という地名は富山県内には存在しない。有磯海とは大伴家持が詠んだ歌に由来する歌枕で、富山湾の海のことを指すとされ、松尾芭蕉をはじめ多くの歌人・俳人が富山湾を有磯海と呼び和歌や俳句に詠んだ。実際には存在しない地名を利用したサービスエリア名はここが初めてである」云々と、サンバレポートの中に、ついでにという形で地名に触れたことがある。
(11月7日に気付いたのだが、富山県には、有磯海という地名はともかく、「有磯」という地名がある。但し、「有磯海サービスエリア」とは、随分と場所が離れているので、直接の関係があるのかどうか、不明である。)
さて、太閤山の件に戻る。
富山は、佐々成政を介して、豊臣秀吉との因縁があることは、富山県人の端くれの小生、知ってはいる。
が、直接、富山と秀吉が関係するのかどうか、知識が乏しく、分からない。
「太閤山 - Wikipedia」によると:
後に「太閤」と呼ばれた豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)が1585年に富山城の佐々成政を攻めた際(富山の役)に、この地域に陣を張った(太閤山陣所)ことに由来する。
そうか、羽柴秀吉の時代に富山に攻め入ったことがあったんだ。
時代劇などでそういう場面もあったろうに(少なくとも科白や背景説明などの形で)、迂闊である。
しかも、小生、佐々成政については、やはり、本ブログで少々触れたことがあったのだ:
「黒百合…悲劇の花」
さらに、「太閤山西端には、薬勝寺池と日宮城があり、当時の交通の要所だった。他に、秀吉が陣を張った際に味方の士気を高めるために相撲の大会を開き、その時の相撲場が今の太閤山相撲場であるとも言われている。その名残として現在も、太閤山を中心として射水市小杉地区は県内で最も小学生相撲(わんぱく相撲)が盛んである」とも。
ここまで調べるのも、やはり車中で「太閤山ランド」には何があるんですかと問われ、不勉強な小生、的確な応答が出来なかったという苦い思い出があるからである。
「太閤山ランド - Wikipedia」によると、以下のような施設がある:
JETトレーン 水辺の広場(イベント広場) 「噴水パラダイス」は、 ボート乗り場 スポーツ広場 いきいき広場 ふるさとパレス 富山県こどもみらい館 プール広場(日本海側ではトップレベルの広さのプール)。 せせらぎの道 展望塔 ピクニック広場 バーベキューコーナー わんぱくの丘

かなり大規模なファミリーパークのようだ(小生は記憶する限り、一度も訪ねたことがない)。
さて、これだけ勉強したのだから、今度は少しはまともに答えられるはずだ。
それにしても、実際に現地で遊んでみたい。
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