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2012/11/10

冬になっても青蜜柑

 朝晩どころか、日中さえ寒さを覚える。
 秋もいよいよ深まってきた。
 寒暖の差、気象の変化の激しさのせいなのか、今年は亡くなられる方が多いような気がする。

Sscn1720

← 葉っぱの陰に隠れるように、ミカンの実が幾つも生っている。青蜜柑なのか。

 それでなくとも、体調を壊された方も多いようだ。

 体調の維持が難しい。そんなに年老いたはずではないが、それでも年々、冬を迎えるのが憂鬱だし、冬を乗り切る自信が薄らいできた。
 先のことなど考えず、とにかく日々を乗り切るだけ、やり過ごすだけだったりする。
 

 今年は蜜柑の実が結構、生っている。
 一昨年、父母が亡くなった年は、ほんの数個、昨年は何と2個だった。
 帰郷した5年ほど前は、笊に2杯も収穫できて、持て余していたのだ夢のようだった。

 それが、今年は帰郷当時ほどではないが、笊(ざる)に一杯の収穫が期待できそうである。

 父母が亡くなった年、ミカンも不作なら、番(つがい)のキウイも、共に死滅した。秋には台風の襲来もあったが、10数メートルまで育っていた杉の木が、幹の中途でバキッと折れた。
 風呂のボイラーも故障し、ガスの二口コンロも片方が点火しなくなり、トイレの水回りも不具合が生じ…と、何もかもが父母を哀悼するかのように、後を追うように小生の元から影を消していった。

 もっと消えていったり、遠ざかってしまったのは、生前、父母と交流のあった人々で、子の世代の小生は、置いてけぼりを喰らったように、広い家に一人、取り残された。

 誰彼との付き合いは回復できないものの、三回忌を済ませ、少しずつ自分の生活環境を変えつつある。
 淋しさを嘆いていても仕方がない。
 自分で暖かさ、暮らしやすさを創出…が難しければ、演出してみるしかない。

 一昨年、昨年と不作だったそのミカンが、今年は豊作とまでは言えないものの、そこそこの収穫が期待できる。
 かなり育って、もうこれ以上大きくならずそれより、熟するほうに向かうことが期待されるミカンの実。
 年を越す頃には、ミカンらしく黄色く(あるいは橙色に)色付くのだろうか。

 艶々したミカンの実の光沢は、なんとなく自分を励ましてくれているようでもある。
 
「蜜柑」は、俳句の季語としても愛されている。
「蜜柑の花」だと春の季語、「青蜜柑」だと夏、ただの「蜜柑」だと冬の季語

Sscn1719

→ 秋も深まり、庭木の枝葉を剪定していて、勢い余って、ミカンの枝も少々、刈り込んだ。1個、枝葉ごと、切り落としてしまった。

 おそらくは、冬の季語としての「蜜柑」は、オレンジ色に色付いた、いかにもミカンらしいミカンなのだろう。
 けれど、我が家の蜜柑の木になるミカンは、真冬になっても青々としている。
 さすがに、正月前後には、すべてではなく多くは、収穫させてもらう。
 幾つかは鳥餌として残す。
 その残りのミカン、いつかは橙色に染まっていのだろうと期待していて、気が付くと真冬になり、啄む餌に窮した鳥たちの餌となる。
 ついに、オレンジ色のミカンには出会えない(今まで我が家の蜜柑の木では見たことがない)。
 青蜜柑のまま、鳥に啄まれるのだろう最後まで、雪の中、ひっそり佇んでいるだけである。

 蜜柑の実たちを眺めていると、今年は黄色く色づく予感もあるのだが…

 青蜜柑雪に埋もれて鳥を待つ   (や)

 

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