銭湯探し余談…今日は馴染みの銭湯へ
一昨日、寒い寒い金曜日、暮れなずむ空の下、銭湯に翻弄され、最後はハッピーエンドに終わった顛末を書いた。
我が家御用達の銭湯は、金曜日が定休日。
その金曜日には、他の日が定休日である、やや離れた銭湯へ行く。
→ 本文中の挿入画像については、拙稿「銭湯へ!」を参照のこと。
その(申し訳なくも)穴埋めのための銭湯が、行ってみたら10月29日限りで…などと張り紙がしてあった。
全く予期せざる事態に(後から振り返ってみると、前兆らしいものはあったのだが)、パニックになり、入浴はあきらめるべきか否か、一瞬は迷ったが、頭の痒さと寒さに、どうにも入浴(洗髪)願望(衝動に近い)止みがたく、過日の客人との雑談の曖昧な記憶を頼りに、自転車を駆って銭湯探しへ。
何とか見つかった。
そこは少なくとも金曜日は定休日ではなくて、入浴もできた。
(前々から根拠のない憶測をしていたのだが、それぞれの銭湯毎に、定休日をずらすよう、談合というか調整をしているのではなかろうか。)
入浴し、体も暖まり、洗髪もできた。
が、やはり、慣れない、行きつけない銭湯だと、勝手が違う。
まず下足(靴)の置き場所から迷ったし、その前に男風呂と女風呂の区別に一瞬、迷った。
迷ったせいにして、目に付いた入口から入り込もうかと、ほんの一瞬、思わなかったとは言えないが、辛うじて自制自重して、よくよく入口の区別を確かめて、男風呂へ(いまどき、うら若き女性が銭湯に来るとも思えないし…という読みが自重させたのでは、という疑惑はさておく)。
男風呂と表記された暖簾を潜り、中に入ると、いきなり驚かされた。
そこはスタイルが旧式なのである。
昔ながらの番台があるのだ。
今の銭湯は(あるいは、近所の銭湯が模様替えで変更された、目新しい様式になっているのか)、入口を入ると、フロアーになっていて、そこではテレビもあれば雑誌もあり、飲み物を飲んだり、休憩や待ち合わせにも使えるテーブルといすもあったりする。
雑誌もだが漫画の本もたっぷり棚に並んでいる。
そのフロアーに入口の玄関などに面するように、番台があり、番人(? どのように呼称すればいいのか)が座っている。
以前は小父さんだったが、齢のせいもあるのか、この頃はさっぱり顔を見せなくなり、今は大概は奥さんである。
その番台でお金を払って、左右に振り分けられた男女それぞれの脱衣場に入っていく。
なので、番台からどう頑張っても、女風呂は覗けない(← 当たり前である)!
逆に云うと、脱衣(更衣)も、脱衣場で行うので、番台の番人からは、お客の更衣は見えないわけである。
ところが、一昨日の金曜日、緊急で飛び込んだ、小生には初めての銭湯は、昔風なのである。
まず、入口(玄関)で靴を脱いで下駄箱に入れると、左右にある男風呂乃至女風呂に入る。
すると、そこは脱衣場であり、すぐ入口付近に番台があり、番人のご婦人が座ってらっしゃる。
そこでお金を払うわけだが、今風の銭湯に慣れてしまった小生は、番台から脱衣場が垣間見える…じゃない…一望できる、その銭湯の様式に一瞬、戸惑ってしまう。
その気になれば、番台での支払いの際に、女の脱衣場が覗けるかもしれないが(そんな試みはしなかった)、そんなことより、脱衣場で番人に丸見えの状態で服を脱ぐのに若干の羞恥心を覚えたのだった。
番人にしても誰にしても吾輩の裸などには興味を示さないのは重々分かっているが、四半世紀は昔の、すっかり忘れたはずの構図に、戸惑いを隠せなかった。
実際は、別に恥ずかしがって、もじもじしながら脱いだわけじゃなく、普通にさっさと脱いだのだが。
しかも、番台から洗い場が筒抜けというか、(その気になれば)すっかり見渡せる。
番台から洗い場を、逆に洗い場から番台を眺めて確かめたのである。
ずっと見られているような変な気分である。
湯船からも番台が見えるのである。
湯に浸かりながら、脱衣場のみならず、番台の様子も伺えるのだ。
その脱衣場に雑誌などが置いてあり、飲み物もあったりする。
テレビも置いてあるので、脱衣場で寛ぐこともできるわけである。
今さら裸を恥ずかしがる齢でもないし、番台の番人も吾輩の裸に興味を示すはずもない。
要は慣れなのだろう。
さて、肝心の湯だが、長年、近所の銭湯に慣れ親しんできたせいもあろうが、湯の温度が小生には合わない。
湯船は三つに区切られていて、温(ぬる)めの湯と熱めの湯とが選べる。
温めのほうは、小生には温過ぎ、熱めのほうが熱すぎる。
肌に合わないのだ(湯の泉質は別にして)。
ただ、その初めての銭湯には、サウナがあった。
早速、使わせてもらった。
ちょっと室温が低すぎる気がする…どうやら、乾式らしく、スチーム様式が好みの小生には、馴染みが薄く、戸惑ったのかもしれない。
今日、日曜日、昨日の仕事の汗を流すべく、馴染みの銭湯へ。
やはり、馴染みの風呂はいい!
何といっても、湯温が肌になじんでいる。
サウナが無くなったのはがっかりだが、その分、湯船に長く浸かるようにしているから、困ることはない。
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コメント
「肌に合わない」 - もし、番台にお店のお孫さんの娘さんでも座っていたら、入り口で絶世の美女に出会ったら、それでも肌に合いませんか?
しかし、番台から脱衣所が見えなくなり、番台の徳?がなくなると、風呂屋の者が浴室を覗くなんていうことになりませんかね。ああいうのはFKKと同じでフリーにするからおかしな按配にならないのです。
江戸屋猫八の頬被りをして女湯の入り口から入ると軽犯罪法なんていうご時世に誰がした?皆がニキビ面の中学生の幼い日本社会。
「定休日をずらすよう、談合というか調整」 - それは地元の銭湯協会?の当然の決め事ですよ。床屋さんは違いますが、医師会やその手のものは歴史的にも調整するための団体なのですね。
投稿: pfaelzerwein | 2012/11/06 19:55
pfaelzerweinさん
「もし、番台にお店のお孫さんの娘さんでも座っていたら、入り口で絶世の美女に出会ったら」……肌を合わせたいです!
脱衣場と飲食や休憩のフロアーが分離され、番台がフロアーに向くようになったのは、若い人を意識しての、構造改革なのでしょうね。
でも、実際には、銭湯は高齢者を中心の交際の場になっていますが。
(銭湯のフロアーで若い女性の姿を見たことがない。若い男性も滅多に)。
銭湯云々とは別に、裸は商品化されました。特に若い女性のヌードは。
裸どころか、エステや爪、わき毛、まつ毛、唇、体毛、髪の毛、健康食品に栄養ドリンク、便秘に睡眠と、体に関わる一切が、徹底して商品化されている。
我々が高校時代には、女子高生はわき毛は自然で放置していたものだったのに、わき毛を剃ることが必須となって…
銭湯は、高齢者の社交場として、まだ平和なほうかもしれないですね。
投稿: やいっち | 2012/11/06 21:15