晴耕雨読の真似事など
昨日以来の雨模様の天気。
雨の合間に、先日断ち切った樹木の巨大な幹を細分化する作業に取り掛かった。
巨大な幹のままでは、燃えるごみにだすこともできない。
が、すぐに雨が降り始め、中へ。そして読書。
→ G・ガルシア=マルケス/著『わが悲しき娼婦たちの思い出』(木村榮一/訳 新潮社)
B・マンデルブロ=著の『フラクタル幾何学 下』を読了。数式などはほとんど分からなかったが、妙に楽しんでしまった。
そして、仮眠後に、G・ガルシア=マルケス/著の『わが悲しき娼婦たちの思い出』を読み始めた。
本書『わが悲しき娼婦たちの思い出』の内容紹介には、「作者七十七歳にして川端の『眠れる美女』に想を得た今世紀の小説第一作。
満九十歳を迎える記念すべき一夜を、処女と淫らに過ごしたい! これまでの幾年月を、表向きは平凡な独り者で通してきたその男、実は往年、夜の巷の猛者として鳴らした、もう一つの顔を持っていた・・・」とある。
← イアン・スチュアート著『現代数学の考え方』 (芹沢 正三 著 ちくま学芸文庫)
川端康成の『眠れる美女』は、『雪国』に匹敵するほどの、我が垂涎の小説。
学生時代だったか、初めて川端の『眠れる美女』を読んだ衝撃は忘れられない。
衝撃のあまり動揺し、どうにも度し難い情動に苦しいほどの思いをした。
現実への衝動。しかし、小説でしか得られない愉悦の世界は、小説でしか叶わない世界なのである。
→ 「ブッダブロ画像」 (拙稿「ブッダブロ画像は美しい」参照のこと)
マルケスが川端の『眠れる美女』にどのような影響を受けたのか。
彼はある程度の年齢になって読んだらしいが、小生にしても、齢を重ねると川端の『眠れる美女』には、一層、魅入られ深みにはまっていくに違いない。
川端の『雪国』は、『眠れる美女』とは全く異質な世界を描いているようで、その実、どんなエロ本も叶わない、実に官能的な世界なのだ。
と、ここまで書きながら、小生は『雪国』は、何回となく読んだのに、『眠れる美女』は、記憶する限り、二度しか読んでいないことに今さらながら、気づかされた。
決して、長編ではないし、読みづらいはずもないのに。
← B・マンデルブロ=著『フラクタル幾何学 下』(広中平祐=監訳 ちくま学芸文庫) 『フラクタル幾何学 上』を本日、読了。今日からは、下巻へ。下巻の冒頭には、カラー図像が多数、掲載されていて、改めてフラクタル画像の見事さに見惚れてしまう。多くは、見慣れたものだし、ネットでいろいろ見ることは可能なのだが、ちょっとした数式を何千回も展開させることで初めて浮かび上がる世界は、自然の世界について、何事かを想わせずにはいない。
きっと、あまりの蠱惑的な、ある意味悪魔的な魅力にビビってしまったのかもしれない。若い自分には、制御不能になりそうな…予感に怯えたのかもしれない。
作家の一線を越える執念。
現実の世界には、もっと碌でもない奴が数知れずいるのだろうが、文学的に描ききるとなると、至難の業なのだ。
マルケスが、川端の『眠れる美女』を読んで、『わが悲しき娼婦たちの思い出』を書いて、さて、どんな世界が創出されているか。
→ フラクタルの例(マンデルブロ集合) (画像は、「フラクタル - Wikipedia」より) 拙稿「サイエンス・イメージは美しく楽しい!」参照。
本書『わが悲しき娼婦たちの思い出』を初めて読んでから、もう数年が経つ。
今夏、購入し、いよいよ秋も深まる今になって再読と相成る。
楽しみ!
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