川端とマルケス それとも日本と哥倫比亜?(下)
先週末、土日が久々の連休だったので、いろいろ家の中のことをした。
築六十年近い木造家屋なので(昔風な農家っぽい作り)、隙間風がすごい。
廊下など、強風が吹き荒れると、埃はともかく、枯れ葉が舞い込んでくる。
→ 玄関側の庭から裏手のほうへの、砂利の小道。そこに敷石を幾つか敷いて、ちょっと風情を期待してみる。まあ、実際には、雨の日、移動の際、足元が濡れないよう、苦肉の策を施したわけである。
なので、目張りやら断熱シートやら、断熱シートに裏張りされたカーテンなどを、家の中に張り巡らした。
まだ、肝心の廊下への対策が手つかずだが、暖房費を少しでも節約したくて、寒さを防ぎたくて、悪足掻きしているわけである。
さて、前日の続きなど。
← カトリーヌ・ミエ著『カトリーヌ・Mの正直な告白』(高橋利絵子訳、早川書房) 「フランスの美術雑誌『アート・プレス』の編集長であるカトリーヌ・ミエは、あたかもモダンアートの成り立ちを解説するかのように、自らの性体験を訥々と、しかし何一つ包み隠さず語っていく―処女を失ってからほどなくして乱交パーティやスワッピングの常連となり無数の男性と関係を持ったこと。場所や時間、性別に束縛されることなく奔放なセックスを求めたこと。ありとあらゆる体の部位で快感を追求してきたこと。一つ一つが清冽なイメージで表現される大胆な性の告白が読者の感性に鋭く突き刺さる衝撃作」といった内容。赤裸々な性生活の告白(暴露)本は、世に数々あれども、読むに堪える本はきわめて少ない。本書は希少な一書である。読者を退屈させない筆力がある。拙稿「読書拾遺『カトリーヌ・Mの正直な告白』」を参照願いたい。やや切り口は違うが、拙稿「板谷 利加子著『御直披』」も併せ読むと、考える余地も広まるかも。
少女愛は、現代では(恐らく)法律で禁止されている(未成年同士なら構わないらしいが)。
かつては、妾(めかけ)でなくても、少女との結婚は構わなかったはずだが(高齢の女性が少年と結婚・同棲するのは現代では構わないのだろうか?)、現代では犯罪的乃至、変態とも受け止められかねない。
なので、その世界を深く探求し、あからさまに描くのは、小説(や映画、芝居、漫画など)の世界に限られるようである。
それも、よほど描き切っていないと、際物扱いされるのが関の山である。
尤も、いずれにしても(現代風な表現をすれば)買春なのだから、世の顰蹙を買うのは無理からぬものがあるのだろう。
買春はともかく、年齢差を超えて、男女とも少年あるいは少女を愛したいという、素直な(あるいは切なる)欲求を持つこともあるのではないか。
年齢差を超えて少年から、あるいは少女からの愛が熟年の男女へ向けられることもあるのではなかろうか。
無論、相思相愛の場合もあれば、片想いに終始することもあろうけれど。
→ 川端康成著『眠れる美女』(新潮文庫) 「波の音高い海辺の宿は、すでに男ではなくなった老人たちのための逸楽の館であった。真紅のビロードのカーテンをめぐらせた一室に、前後不覚に眠らされた裸形の若い女――その傍らで一夜を過す老人の眼は、みずみずしい娘の肉体を透して、訪れつつある死の相を凝視している。熟れすぎた果実の腐臭に似た芳香を放つデカダンス文学の名作」といった紹介がされている。川端の『雪国』に匹敵するほどの傑作だし、我が垂涎の書でもある。なのに(あるいは、ゆえに)あまりに没入し過ぎて、その世界から抜け出せそうになくて、二度しか読んでいない。
高齢化社会にますます傾斜している。
高齢の方同士の恋愛(性愛を含むかどうかはいろいろあろう)は、一層、華やかになっていくに違いない。
同時に、男女を問わず高齢の方の、若い人への愛(逆も含めて)も現実の場面で繰り広げられるということは、想像に難くないはずである。
まあ、そんなこんなをくだくだ呟くより、読むのが先決である。
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コメント
「未成年同士なら構わないらしいが」 - 駄目ですよ、不純異性交遊というような軽犯罪や条例程度のことではなくて、数年前にトルコ良好中に起こったドイツの少年と英国少女の話は国際問題になりました。ロメオとジュリエットのような話ではなくて、軽率なお遊びで少女の親に訴えられて投獄されてしまったのです。
世界中で日夜繰り広げられる金も名誉もある親爺さんの起こす事件は節操の無さに尽きますが、若いお小姓に対しても青少年保護で罰せられます。本当の問題は青少年虐待の被害者とその後の性犯罪の加害者が繋がることです。
お写真の飛び石は上手く出来ましたね。そしていつも見ていて分らなくなるのは向こう側の建物とこちら側の建物の関連です。
投稿: pfaelzerwein | 2012/11/13 20:51
フランスの美術雑誌ですか、それは、ポピュラーな雑誌ですか、美術手帖みたいに?って弥一さんに尋ねてもどうかなですかね。
川端康成は美術収集家でもありましたね。
川端康成と東山魁夷の図録が実に良く出来ていて、東京に来ないから何所かで買いたいんですよ。
富山ではクライドルフの世界やってますね、これは東京で一足はやく拝見しました。
投稿: oki | 2012/11/13 22:06
やいっちさん
こんばんは。
敷石!!素晴らしい完成度ですね。
シートに木の伐採などなど・・
本当になんでも出来て、凄い。
いつも吃驚してしまいます。
手前のお家と奥に見える家屋は、
敷地内なのですか?私も気になります。
Catherineさん・・
原書でこっそり?読んで見たいー(笑)
投稿: のえるん | 2012/11/13 23:28
pfaelzerweinさん
若年者同士のラブは、たまたま表沙汰にならないから、結果オーライだというに過ぎないわけですね。
年の差の大きな恋愛も、表沙汰になるから問題ということか。
高齢の男(あるいは女)が若年者を愛すると、罪になるという構図は、現代のモラルなのでしょうね。
これはもう、変わることはないのでしょう。
飛び石の敷石は、苦肉の策です。
手前のは、我が家の母屋で、吾輩の寝室(の書斎)です。
向こうは、農作業小屋です。今は(ずっと前からですが)使われていない。
農作業や農機具、畑仕事、庭仕事の置き場。
投稿: やいっち | 2012/11/15 02:54
okiさん
フランスの美術雑誌は、okiさんのほうが詳しいのでは?
川端康成と東山魁夷の図録、見てみたいものです。
クライドルフの世界展、見てみたい。
昔懐かしいような、親しみ深い世界。
ブログで採り上げようかと、新聞の記事を切り抜いたりしましたが、ネットではあまりいい画像が見つからず…
投稿: やいっち | 2012/11/15 02:59
のえるんさん
敷石と砂利の小道、昨日今日の雨の中、やはり具合がよかった。
断熱シートも木の伐採も、必要に迫られてのこと。
有料でも、人様の家ではできない。出来に自信がないからね。
手前のは、我が家の母屋の一部。
昔は父母の寝室と父の書斎だった。
今は、小生の寝室として使っています。
奥の小屋は、農作業小屋です。
昔は、父母らが庭仕事、畑仕事、田圃仕事などの際に使ったのでしょう。
小屋の中には電燈もついている。
今は、スイッチをオンにしても、点燈しない。
勿体ないので、物置にしたり、畑や庭仕事用の道具を置いたりしています。
Catherineの本を原書で読む。フランス語!
なかなか読み応えのある本です。
でも、川端の『眠れる美女』のほうが淫靡でいいですが。
投稿: やいっち | 2012/11/15 03:08
『アール・プレス』
五月革命直後から評論活動を始め、すでに『クロニック・ドゥ・アール・ヴィヴァン』の編集を手がけていたカトリーヌ・ミレによって、1978年に創刊されたフランスの月刊の美術雑誌。92年から仏語版と仏語、英語のバイリンガル版が発行された後、発行部数を大幅に伸ばし、現在は仏語版も一部はバイリンガルとなっている。発行部数はフランスおよびフランス語圏で3万部、その他の地域を合わせた総発行部数は4万8千部。カトリーヌ・ミレはこの雑誌において、時代の最先端にあったコンセプチュアル・アートを強力に支持した。フランスの他の美術雑誌と比べると、パリのアート・シーンにとどまらず南仏の動向にも目を向けており、展覧会情報などはフランス国内が中心であるが、同時にグローバルに時代の様相を反映するアーティストを取り上げるなど、視点はインターナショナルである。扱う領域は毎号、美術だけでなく写真、文学、演劇、ダンスまでと幅広く、美術市場の動向にも敏感である。『アール・プレス』誌とはまた別の観点から「バロック'81」展をオーガナイズし、フランスの現代美術界に少なからぬ影響力を持つこの編集長によるインタヴューは、アーティストのみにとどまらず各界の美術関係者にわたっている。また、大規模な企画展や、地方のアートセンター紹介を補完する形の増刊号なども発行している。
[執筆者:柴田勢津子]
http://artscape.jp/dictionary/modern/1198309_1637.html
投稿: やいっち | 2012/11/15 03:15