街角のハロウィン風景
先週末だったか、いかにもハロウィンパーティのお開きといった若者たちが店から出てきた。
夜の十時か十時半頃だったか。
ちょっと新鮮な驚き。
← 「ジャックランタン」 (画像は、「ハロウィン - Wikipedia」より)
東京でも、ハロウィンパーティに興じる若者は見たことがない気がする。そんな光景を富山で見ようとは。
尤も、東京を離れて既に五年ほどになるのだが。
ふーむ、娯楽の少ない富山だからこその光景なのだろうか。
「ハロウィン - Wikipedia」によると、「ハロウィン、あるいはハロウィーン(Halloween, Hallowe'en)は、ヨーロッパを起源とする民俗行事で、毎年10月31日の晩に行われる。ケルト人の行う収穫感謝祭が、他民族の間にも行事として浸透していったものとされている。由来と歴史的経緯からアングロ・サクソン系諸国で盛大に行われる」とある。
ケルト!
ケルトについては、以前より関心を抱いていて、「『ストロングボーとイーフェの結婚』とケルト」や「ケルトの装飾表現再考」「ケルト…エッシャー…少年マガジン」などなど、ケルト関連の雑文は幾つも書いてきた。
「ケルトとはウロボロスの輪の積み重ね?」や「「ケルト文化」補筆」、さらには、「枯木立からケルト音楽を想う」などがあり、ほかにも幾つか書いた。
けれど、敢えて、「ケルトとハロウィン」というテーマでは扱ってこなかった。
それは、ハロウィンに関わる風習には縁がなかったから、ということがある。
でも、それだったら、ケルト文化にも、身近な場面では、まるで縁がないってのは、同じこと。なのに、ケルト関連の雑文を懲りずに書いてきたではないか。
→ 「ジャックランタン」 「ハロウィンを祝う家庭では、カボチャを刻んで怖い顔や滑稽な顔を作り、悪い霊を怖がらせて追い払うため、ハロウィンの晩、家の戸口の上り段に置く」 (画像は、「ハロウィン - Wikipedia」より)
「ハロウィンはカトリックあるいはキリスト教の行事と誤認されがちであるが、本来無関係である。そもそもキリスト教の教えと、魑魅魍魎が跋扈するハロウィンの世界は相容れるものではなく、聖と俗との習合がハロウィンという名称のみに痕跡を残している」という。
「日本では宗教的背景の上でハロウィンを開催している例は皆無といってよく、クリスマス等と同じくあくまでイベントとして楽しむもので、娯楽化、商業化されたものである」!
ある意味、身近なところでケルト文化の痕跡くらいには接することができる…わけで、それはそれで稀有な機会とも思えなくもないが、だからこそ、ケルト文化をあまりに安易に、ご都合主義的に扱いすぎるようで、躊躇われるのである。
そういえば、遠い昔、ディズニー映画(アニメ)のなかで、カボチャの馬車が登場したのを覚えている。
シンデレラだったか。
ガキの頃に既に、ディズニーアニメを通して、「娯楽化、商業化」されたケルト文化の痕跡に触れていたのだ。
ケルト文化の勝利? それとも、ケルト文化を汚している?
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