秋の夕焼け
仕方なく、小生はただ、公園の脇を自転車でゆっくり掠めていくだけである。
この公演が完成する前は、当然、工事中で人影も少なく、小生は格好の撮影スポットと、夕景などに恵まれそうになると、慌ててデジカメ持参で駆け付け、撮影しまくったものだ。
今は、家の茶の間の出窓、あるいは庭の隅っこから隣家の庭先越しに公園を垣間見るだけ…
公園の脇を通り過ぎる……ゆっくりと、夕景、夕焼けを眺めながら。
人気のないスポットで自転車を止め、夕焼けを急いで撮る。
他の季節に比べ、湿度が低く、空気が澄みきっているからだろうか、夕焼けに限らず、風景が際立っている。
森羅万象の輪郭が鮮やかである。
猛暑だった夏も、夢のように遠ざかり、いよいよ冬の到来を予感させる、そんな秋風が吹き始めている。
築六十年の我が家は、風に戦くように震え、ガタピシ鳴っている。
冬を過ごす辛さ、辛抱に耐える日々の到来への、ある種の怯えのようは予感が、意識の底に見え隠れしている。
死の間際の、一瞬の意識の覚醒のように!
秋はそんな季節なのだろう。
清少納言は、『枕草子』の中で、秋について、以下のように表現していることは、小生のような無教養な人間も知っている:
秋は夕暮 ゆふ日のさして山の端いとちかうなりたるに からすのね所へ行くとて 三つ四つ二つみつなど とびいそぐさへあはれなり まいて雁などのつらねたるが いとちひさくみゆるは いとをかし 日入りはてて 風の音 むしのねなど はたいふべきにあらず
清少納言の観察力の鋭さは云うまでもなかろうが、この短い文言の中でも、たとえば、「山の端いとちかうなりたるに 」などは、まさしくその通りだと思う。
空気が清明だと、遠くの風景も近寄って見えてくる気がする。
風景もだが、星や月も、何か手にしえるように見えてくる。
古来より「夕焼けの翌日は晴れ」ということわざがあるようだが、月曜はかろうじての夕焼け。
「夕焼け - Wikipedia」によると、「日本上空では、偏西風の影響により雨雲は南西から北東へと移動していく。そのため、夕方に西の空が晴れ渡った夕焼けの翌日に、雨雲が来る可能性は低くなるから」という理屈のようだ。
どうやらこのことわざも外れることになりそうである。
月曜日の予報によると、今日、火曜日は、ほぼ終日の雨だというのだから。
秋の日の夕焼け追いし窓辺かな (や)
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