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2012/10/29

ユリノキの生命力に期待する

 今日、月曜日も、土曜日以来の作業の続き。
 でっかりユリノキの、どこまでも伸びていく太い枝をさらに断ち切った。
 隣家の落ち葉が散ってきて邪魔だという苦情で始めた作業だけど、いつかは切らないといけなかったのかもしれない。

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← B・マンデルブロ=著『フラクタル幾何学 下』(広中平祐=監訳 ちくま学芸文庫) 『フラクタル幾何学 上』を本日、読了。今日からは、下巻へ。下巻の冒頭には、カラー図像が多数、掲載されていて、改めてフラクタル画像の見事さに見惚れてしまう。多くは、見慣れたものだし、ネットでいろいろ見ることは可能なのだが、ちょっとした数式を何千回も展開させることで初めて浮かび上がる世界は、自然の世界について、何事かを想わせずにはいない。

 当然ながら、ユリノキからの落ち葉は隣家だけに散るわけじゃない。
 我が家の庭にも、もっと舞い散ってきていた。
 そのほかの落ち葉共々、落ち葉の小道を気取ることも乙なもの。

 しかし、必ずしも広いとは言えない庭である。庭のど真ん中にポツンと立っているのなら、落ち葉はどれだけ散り積もっても、風情が増すことはあっても、邪魔には決してならないのだが、生憎、隣家と接している(庭のどの位置にあっても、いずれかの家、あるいは道路と接する)。

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→ 残りの大きな枝葉も、思い切って大胆に断ち切った。宴の後の寂しさの感。哀れな姿。

 これまでだって、杉や松、そのほかの落ち葉はそれなりに対処してきたのだが、これほどバッサリ、太い枝…ほとんど幹…を切ったのは、小生は初めてである。

 尤も、一昨年、ユリノキよりもっと巨大な松や杉の木も、上部の半分をバッサリ、断ち切ったことはある。
 これは落ち葉対策というより(それもあるが)、台風などの強風対策の意味合いが強かった。
 一昨年の台風18号で、我が家の台所の隣にあった、樹高十メートル以上の杉の木が、幹の途中で折れてしまったのである。

 しかも、隣家の茶の間の窓の庇のほうへ倒れかかってしまったのである!
 茶の間の窓が割れたり、隣家の板敷の壁が傷つかなかったのが幸いだった。

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← 古いノコギリでギコギコやって断ち切った枝葉(の一部)。大き過ぎて、移動できない。置き去り。そのうち、細分化して、整理するしかない。

 その<事件>以来、我が家の庭の巨木たちが気になってしまった。
 土壌が痩せている、あるいは、除草剤が地下に沁み込み、根の深い杉や松の根っこが除草剤を吸い上げてしまった、などなど理由(原因)は考えられるが、いずれにしても、幹が弱っているのが歴然だった。
 一部、幹の樹皮が剥がれていたりする。

杉の木が倒れた
三本の杉の木を断ち切った

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→ 銭湯から帰った夕刻、改めてユリノキの孤影を撮る。寂しげ。防風林の役割もあったのだが… いずれまた、すくすく枝葉を茂らせてくれるだろう。

 また、杉や松のこんもり茂った枝葉の一部が道路へ被さるように出っ張っている。
 雪が降れば、積もるのは当然だが、折々、道路へドサッと落ちるわけである。

 直下は、車も走れば、人も通る。
 なので、道路に食み出している部分の繁茂する枝葉をバッサリ、断ち切ったわけである。

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← B・マンデルブロ=著『フラクタル幾何学 上』(広中平祐=監訳 ちくま学芸文庫) 「「フラクタルの父」マンデルブロの主著。膨大な資料を基に、地理・天文・生物などあらゆる分野から事例を収集・報告したフラクタル研究の金字塔」といった本。広中平祐=監訳ってのがすごい。

 今回は、隣家の苦情と、断ち切った事情は違うが、やはり、大胆に刈り込まれた杉や松、ユリノキなどは、何度眺めても寂しい限りである。
 哀れですらある。

 

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