田山花袋『東京の三十年』の周辺
本ブログ日記にても、幾度となく触れたが、東京在住約三十年の小生なので、小生が歩いたりオートバイや車で走り回った、あるいは訪ねきれなかった東京の、かつての姿を垣間見たい一心なのである。
上京したのが昭和五十三年、離れたのは平成十七年。
藤村などは、小生には穏やかな気持ちでは名を挙げることのできない、明治学院の先生でもあった。
小生は明治学院にほど近い高輪に(も)居住していた。
藤村の多くの小説は、文学的関心で読むのか、往時の高輪や白金などの風俗を偲んで読んでいるのか、折々定かでなくなるほどである(さすがに、『夜明け前』はひたすら文学的関心で近く、再読するつもりでいるが。高輪、三田、白金、麻布(十番)、芝浦、海岸… こういった地域への思い入れについては、拙稿「島崎藤村『桜の実の熟する時』の周辺」など参照願いたい。)
本書の紹介によると、「明治14年、花袋が11歳で出京してからほぼ30年の東京という街の変遷と、その中にあって文学に青春を燃焼させた藤村・独歩・国男ら若い文学者の群像を描く。紅葉・露伴・鴎外ら先輩作家との交流にも触れ、花袋の自伝であるとともに明治文壇史でもある。また明治の社会や風俗の資料としても興味深い」とある。
→ 「富山県富岩運河環水公園」を俯瞰する。 本画像は、テレビのCMの一場面を撮影したもの。 (なお、この親水公園については、拙稿「帰郷して初めて散歩した(1)」などを参照願いたい。)
実を云うと、この紹介の中の、「花袋が11歳で出京してからほぼ30年の東京という街の変遷」(と藤村らとの交流)という辺りで、購入を即決したのである。
特に30年という年月に、ビビビと来てしまった。
まこと、吾輩はミーハーで単純なのである。
それはそれとして、本書『東京の三十年』を読みだして、花袋が日本で最初に(?)手がけた文学的描写の技法など、改めて味読してみたいと思い始めている。
なお、小生には田山花袋を語る能はない。
ネットで本書を巡る形で花袋を論じるサイトがいくつか散見された。
その中で、「古本夜話79 田山花袋と近代文明社『近代の小説』 - 出版・読書メモランダム」なるブログが、花袋の再評価を含め、花袋理解に資すると思われる。
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