我が庭は来る人なしに秋の風
その樹木の枝葉も、秋の深まり、やがて来る冬…雪の季節に向け、今度は逆にプレッシャーとなってくる。
落ち葉もだが、降り積もる雪に枝葉が首を垂れるほどに折り曲げる。
そんな姿は、見苦しいし、可哀そうである。
なので、できる限り、枝葉を刈り込んでいく。
庭職人に頼めばいいのだろうが、そんなゆとりもない。
それに別に庭に凝っているほうでもない。
それなりに見栄えがすればそれでいい。
春先から雑草退治に追われ、庭の草花の世話もだが、新たに花を咲かせるゆとりも持てなかった。
春には春の、夏には夏の、そして秋には秋の花を咲かせたいもの。
用事の折に近所を見て回ると、それぞれに工夫されているのが分かる。
先日まで花盛りだったのが、いつの間にか、緑の葉っぱだけの花壇になって、寂しいなと思っていたら、今日、通りかかったら、何やら白い可憐な小花がいっぱい、咲き誇っていた。
ちゃんと考えて、朝夕が寒くなる時期に咲くように、準備されていたのだ。
悔しいのは近所の空き家である。
誰も居住していない。
主たちがいたころは、奥さんが丹精込めて庭造りに励んでおられた。
それこそ、季節ごとの花を絶やさない。
けれど今は不在。
さすがに庭はやや荒れ気味である。
なのに、季節ごとにちゃんと花が咲いている!
一方、我が家の庭は寂しい限り。
春先から雑草退治に追われる日々だったという言い訳はあるが、それにしても、陰気というか、緑一色といった庭なのである。
花がほとんど咲いていない。
たまに庭に色が目に付いたと思ったら、それは紫式部の実など、何かの樹木の実である。
花というと、せいぜい、植えたり育てたりした覚えのない時鳥草(ほととぎすそう)や秋明菊、夾竹桃、なぜか夏の真っ盛りの時期からずっと咲いてきてくれた(孤軍奮闘の)萩の花、くらいのものか。
我が庭ながら、あまりに貧相な庭だ。
やがて冬には山茶花が盛りだくさんの花を咲かせてくれるだろうけど、それでも、寂しい庭に変わりはない。
まあ、「この道を行く人なしに秋の暮 」(芭蕉)といった庭では仕方がないか。
さて、庭の手入れも必要だが、今日は家の中の模様替え。
一昨日、我が家に新しい、立派な仏壇がやってきた。
せっかくの機会であり、住職のアドバイスもあり、仏壇を置いた座敷であり仏間でもある部屋、その隣の法事の際のお坊さんの控えの間は、余計なものは一切置かず、可能な限り、質素で落ち着いた佇まいに、隣の来客用の座敷(茶の間)は、これも、こけしや人形などを飾ったガラスケースだけを置くだけに、その隣の部屋は、箪笥などを移動・配置替えし、広々とした空間に変貌させた。
箪笥や茶棚などの移動を一人でやったのだ。
体の節々が痛い。
| 固定リンク
「写真日記」カテゴリの記事
- 「萩」に絡んで掌編の試み(2024.09.20)
- 珍客珍事勃発(2024.09.19)
- 楽しむだけの本もいいね(2024.09.17)
- 昨日の雄姿は夢と潰えた(2024.09.16)
- オレは…待つだけの男!(2024.09.13)
コメント