科学啓蒙書の魅力の彼我の差
高校時代、中央公論社から「世界の名著」シリーズが刊行され始め、小生は最初から順番に買って読んでいった。その中、フロイトの巻は高校時代に出て、当時、キリコやダリに惹かれていたこともあって、夢についての論考を読みふけったものだった。
今はフロイトは、古典扱いすらされていないようだ。
それでも、ある種の文学作品として、あるいは推理小説風に読むと、多くの作品は一級…最高級の娯楽作品たりうる。
読み応えは、今も十二分にあるのだ。
一方、 井上昌次郎著の『ヒトはなぜ眠るのか』( 講談社学術文庫)は、読み始めてすぐに買ったのを後悔した。
老眼鏡を忘れてしまって、中身をパラパラ捲っても、文章を拾い読みできない。
彼に限らないが、日本の科学者・研究者の書く一般向け(内容的には専門家も読むに値するはず)の科学の啓蒙書は、あまり面白くない。
専門分野においては、欧米にひけを取らないのだろうが、いざ最先端の研究を文章で表現しようとすると、退屈な記述、説明に終始する。
何が原因なのか。
僭越というか生意気なのを承知で敢えて言うと、基礎的素養、教養が足りないのではと感じる。
別に哲学の勉強をしろとは言わないが、科学には長い歴史、研究の積み重ねがある。宗教的偏見や権威との戦いの歴史でもあった。
科学者の武器は、徹底した文章力、表現力、説得力なのだ。
哲学だけじゃない、音楽、美術、文芸、建築、政治、音楽などなど、様々な分野がベースにある。
一言の簡単な文言の背後に、言及しなくても、読む者の想像力を刺激する表現力(素養)が感じられるようでないと、つまらない(浅い)。
井上氏の本も、ほとんど流し読みに終始したのは、仕方ないと思う。
← アダム・フランク(著)『時間と宇宙のすべて 』(About Time 水谷 淳(訳) 早川書房)
アダム・フランク著の『時間と宇宙のすべて 』(About Time 水谷 淳(訳) 早川書房)を読んで、宇宙論の危機、これが大袈裟なら、今、宇宙論の根底からの再構築のトバクチにあると改めて痛感させられた。
著者によると、ビッグバン宇宙論が、ほとんど崩壊、あるいは放棄という崖っぷちにあるという。
「宇宙が高温高密度の状態から進化したというアイデアを支持する観測的な証拠が挙がってきた。1965年の宇宙マイクロ波背景放射の発見以降は、ビッグバン理論が宇宙の起源と進化を説明する最も良い理論であると考える人が多数派になった」にも関わらず、である。
ダークマターやダークエネルギーの存在などがビッグバン宇宙像を危機に陥れている。
量子力学と相対性理論との統合を可能にするかと期待された超ひも理論も、宇宙の描像をほとんど無際限に描く結果に終わっていて、研究(実験での確認)の進展の可能性が見えず、研究者の熱は醒めてきたようだ。
特に(本書では触れられていないが)「ハワイのすばる望遠鏡で大内正己特別研究員が率いる日米英の国際研究チームによって発見された」、「ヒミコ」の存在が、既存の宇宙論を脅かしている。
「ヒミコの発見によって、宇宙の初期に現代の平均的な銀河と同じ程度の大きさの巨大天体が存在したことになった。これは小さな天体が重力によって徐々に集まっていき大きな天体が形作られていくという現代の宇宙論では説明ができない。また、その後も宇宙初期に成長した銀河やブラックホールが発見されている。これらの発見はビッグバン後の宇宙の見方を変える可能性がある」というのだ。
それはともかく、同じ科学者でも、読ませる文章力の違いの大きさ!
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