ゾンビーと幽霊の間に
ゾンビーなるものを、勿論、映画でだが、初めて見たときは、ちょっと怖かった(実は、凄く怖かった)。
日本とは違い、西洋(の一部?)では、死者は火葬される(荼毘に付される)わけじゃなく、棺桶に遺骸が収められ土中に埋葬される。
→ ハイチのゾンビのイラスト (画像は、「ゾンビ - Wikipedia」より)
その骸(むくろ)が、まさに屍骸のままに蘇られ、やがて柩の中で目を覚まし、むっくりと上半身を起こし、どうやってか柩をこじ開け、墓地からやってきて、生きている(はずの)我々を襲うのだ。
ライフルで撃っても、棍棒で殴っても、スコップで殴っても、一旦は倒れたり、体の一部が損傷したりするけれど、奴等は平気の平左で、また、起き上がり、こちらに向ってくる。
日本の場合、仮に死んでも、また、蘇生する可能性があるということで、一晩は通夜をするのだろうが、それでも、亡くなった翌日辺りには火葬されてしまうので、墓地から死者がゾンビーとして蘇ってくるということは、イメージ的には、想像しえる余地が少ない。
あくまで、霊的な曖昧模糊たる半端な、しかし心的には鬼気迫る存在として、死者に因縁の深い誰かに祟る(だけのはずである)。
西洋など、土葬する場合は、墓地に埋葬しても、時には、棺桶の中で蘇生することもあるわけで、ゾンビーではなく、本当に死者、実は死に損なった誰かが蘇ることは十分にありえるわけだ。
[実際、あったらしい。が、仮に実際に確認された以上に柩の中で蘇生することがあっても、どんなに足掻いても、きっと立派で頑丈な柩を内側からこじ開けることは難しいだろうし、なんとか恐らくは木製の柩に穴を穿つことに成功したとして、結果は目に見えている。希望の光の入るはずの小さな穴か罅割れから、柩にしっかりと掛けられた土砂がドッと浸入し、今度は土砂が直接、死骸を埋め尽くしてしまい、希望を絶望の淵へと叩き落してしまう…。
そんな実例があったのではなかろうか。あったとしても、神様にも声が届かない悲鳴を上げるしかなかったのではなかろうか。
それ以上に、或る日或る時、埋葬を終えて、ようやく悲しみの淵から離れ去ることができたと思って、安息の時の中に憩おうとしている、その人の脳裏に、いや、死にきれずに蘇生した可能性が絶無ではないと、脳裏のどこかで微かに予感しなかったわけでもない、その人の脳髄の何処かに、そんな死者の蘇りという悪夢が、まさに目の前でよくも生きたまま葬ってしまったな、と恨みと復讐の念の篭った暗い目でこちらを睨み付けるという、鮮やか過ぎる場面を見なかった西欧人というのは少ないのではなかろうか。 (05/05/26 追記)]
だからこそ、ゾンビーという形象は、特に今も土葬する欧米などにはリアリティがあるのだろうと思う。
それにしても、万が一、目覚めたら、真っ暗で無音の棺桶の中だと気付いてしまったら、恐怖どころの騒ぎではないだろう。
蘇生する可能性があっても、また、実際に<復活>したとしても、人間の通常の力では、しっかりと土が掛けられた棺桶をこじ開けて、外界に出るのは至難の技だし、まして、土中とあっては、密閉に近い状態だろうから、間もなく酸欠状態に陥り、本当に絶命してしまうのだろう。閉所恐怖症、暗所恐怖症の人間には、そうした状況をちょっと想像するだけでも、怖気を震ってしまうだろう。
さて、ここまで書いてきて、はて、ゾンビーのちゃんとした由来などを知らないことに気が付いた。
まあ、幽霊だって、そもそも何も分からないのだが。馴染みの方も居るわけもないし。
ただ、あれこれのイメージがあるだけではないか、というわけで、とりあえず、ネットで簡単に調べておきたい。
下記サイトを覗いてみる:
「voodoo study」の中の、「本来ゾンビとは」
ここによると(実に興味深いサイトだ)、本来、ゾンビ(ゾンビー)というのは、西インド諸島などのブードゥー教に由来する存在のようだ。
曰く、「本来ゾンビとは、嫌われ者に対する制裁である。もちろんハイチにも刑法はあるが、ゾンビは刑法とは無関係の伝統的な制裁のひとつであ」り、「フグ毒・テトロドトキシンを主成分とする毒薬が嫌われ者の傷口にすりこまれる。神経毒であるテトロドトキシンは心筋や呼吸中枢を止め、仮死状態をつくりだす。医者も欺かれ死亡診断書を書いてしまう。そして毒の量が丁度良いと薬と呪術によって蘇生されるのだ」という。
(注)これら毒物の知識については、このサイトが紹介されている。
しかも、「1~2日間という長い間無呼吸状態だったため脳の前頭葉は死んでいる。自発的意志のない人間、ゾンビの誕生だ。この状態のまま死ぬまで奴隷として働かされるのである」というのだ。
一方、「一方土葬が中心であったヨーロッパには、埋葬したはずの死者が墓の中から甦るといった伝説や迷信が数多く伝えられていた。またよみがえった死者は生者を襲ってその生き血をすするとも信じられいた。」
そして、「この両者を結び付け、「ソンビ=甦る死人」というイメージを定着させたのが、映画監督ジョージ・A・ロメロの「ゾンビ三部作」である。」という。
尚、「ゾンビという言葉はコンゴ語の「ンザンビ」からきているといわれ、その意味は「死者の魂」だという。」
以下、上掲のサイトでは、「ゾンビの社会的意義」や、「秘密結社」「クー・レール」「ゾンビ化の症状」「解毒剤」「仮説」と続く。特に「ゾンビ化の症状」は、読むだけでも怖い。
「解毒剤」の項を読む。
「一人の人間がゾンビ化すると、二種類のゾンビが生まれる。よみがえった肉体はゾンビ・カダーヴルになり、肉体から分離した霊魂の一部は、ゾンビ・アストラルになる。」のであり、「われわれがゾンビと呼んでいるものは、肉のゾンビことゾンビ・カダーヴル、個人としての記憶も意識も失った廃人のことである。自分を作りだしたボゴールの意のままに、新しい名前を与えられ、奴隷として売り払われる。」
そして、「ゾンビの霊魂は、壷の中に封じ込まれる。」という。
ゾンビについては、最後の「仮説」の項こそが重要かもしれない。
曰く、「ゾンビは非常に歪んだハイチ像をでっち上げるのに都合がよかったので利用されたにすぎない。世界初の黒人共和国というハイチの存在はアメリカにとって邪魔だった。奴隷解放は非常に困った事態であり、ハイチだけに封じ込めておきたかったのだ。そこでハイチのイメージダウンをはかった。」というのである。
あまり、アメリカ映画の影響をナイーブに受けすぎて、興味本位な形ではゾンビを考えてはいけないということか。
[日本でもアメリカの(マカロニウエスタンが流行る前の)西部劇が盛んにテレビで上映されたりしたが、その際の敵役は悪漢はもとよりだが、往々にしてインディアンだった。インディアンは白人を殺すだけじゃなく頭の皮を剥いだりする残虐な連中だという描き方をされることが、間々、あった。次は、冷戦時代にはソ連などが敵役となり、ハイチが敵役となり、アフガニスタン(怒りのアフガン)が敵役と移り変わった。日米の経済摩擦が過熱していた頃は、日本も一時、敵役になったものだ。映画好きなら、それぞれに映画のタイトルや場面を思い浮かべることができるだろう。下記に幾つか例を挙げたが、インディアンものだと、どんな映画がそういった構図に当て嵌まるだろうか。 (05/05/26 追記)]
← 疫病や生物兵器などによる終末ものフィクションの中には、ゾンビもしばしば登場する (画像は、「ゾンビ - Wikipedia」より)
そういえば、アーノルド・シュワルツェネッガーが主演した映画『プレデター』では、謎の肉食エイリアンが活躍するのだが、その怪物の形象は、いかにも西インド諸島(ハイチ)の人びとの姿を髣髴とさせていた。映画の冒頭近くで、その怪物に、とあるマンションの中で虐殺されてしまう連中も、まさに西インド諸島(ハイチ)の人びとの姿そのものをイメージさせていたように小生は感じた。
アメリカ映画では、その都度、その時代の敵対国(敵対圏)の人間を悪役として登場させる。東西冷戦構造が、がっちりと存在していたころは、ソ連(KGB)のスパイがよく憎まれ役だったし、あるいはブルース・ウィリス主演の
映画『ダイ・ハード』では、事件の舞台となるビルの名前が中冨ビルという日本名だったはずだ。
この頃は、日米の経済的利害の対立が厳しい時だった(80年代から90年代前半にかけて自動車など日米経済摩擦が過熱)。ちなみに、この映画が公開されたのは、1988年。つまり制作は、その前の年なのだろう。企画となると、もっと前か。
で、企画の頃の日本の総理大臣は、中曽根康弘氏だった(1982(昭和57)年11月27日~1987(昭和62)年11月6日)。穿ち過ぎかもしれないが、小生は、中冨ビルと映画で(但し、小生はテレビで見た)聞いて、おや! と思った。
そう、ダジャレリストの小生、中冨という名前に中曽根を嗅ぎ取らないわけにはいかなかったのである。
(04/05/10)
[「罌粟の花…ゾンビ」(2005/05/26)に採録済み。近頃、アメリカの偏見に満ちた、ご都合主義のハリウッドイデオロギーの妖怪が、またまた安直に蔓延ってる。日本のテレビドラマなど、ナイーブというか無知なるがゆえに、安易にゾンビを使いまわしている。目に余る惨状。なので、ここに旧稿を再録する。]
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