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2012/10/31

日米地位協定…治外法権という現実

 沖縄県の20代の女性 に対する集団強姦致傷容疑で米兵2人が逮捕された事件が、(情けなくも沖縄県においてのみ…)今も熱い。
 アメリカ軍(政府)も日本の当局も、ひたすら傍観し、世論の鎮静化…ほとぼりの醒めるのを待つだけという、相変わらずの姿勢である。

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→ 素顔で米兵犯罪の抑止を訴えるフィッシャーさん=9月、都内 (画像は、「2002年に性犯罪被害の豪女性、米で民事訴訟「加害者逃がさない」/横須賀 (カナロコ) - Yahoo!ニュース」より)

 日米の地位協定もあり、沖縄(に限らず日本)においての米兵による犯行は、どんな凶悪な事件でも、ほとんどが不問に付され、被害者は泣きを見るだけという現実が、戦後ずっと続いてきた。

 日米地位協定で、(言うまでもないことだろうが、必ずしも広くは知られていない憾みがあるが)米兵の犯行が治外法権的に扱われるのは、沖縄だけではない。

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2012/10/30

倒木から拙稿を思い出した

 森の奥の人跡未踏の地にも雨が降る。
 誰も見たことのない雨。流されなかった涙のような雨滴。誰の肩にも触れることのない雨の雫。雨滴の一粒一粒に宇宙が見える。誰も見ていなくても、透明な雫には宇宙が映っている。数千年の時を超えて生き延びてきた木々の森。
 その木の肌に、いつか耳を押し当ててみたい。

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← 元の樹形など、想像だにできない哀れな姿。

 きっと、遠い昔に忘れ去った、それとも、生れ落ちた瞬間に迷子になり、誰一人、道を導いてくれる人のいない世界に迷い続けていた自分の心に、遠い懐かしい無音の響きを直接に与えてくれるに違いないと思う。

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2012/10/29

ユリノキの生命力に期待する

 今日、月曜日も、土曜日以来の作業の続き。
 でっかりユリノキの、どこまでも伸びていく太い枝をさらに断ち切った。
 隣家の落ち葉が散ってきて邪魔だという苦情で始めた作業だけど、いつかは切らないといけなかったのかもしれない。

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← B・マンデルブロ=著『フラクタル幾何学 下』(広中平祐=監訳 ちくま学芸文庫) 『フラクタル幾何学 上』を本日、読了。今日からは、下巻へ。下巻の冒頭には、カラー図像が多数、掲載されていて、改めてフラクタル画像の見事さに見惚れてしまう。多くは、見慣れたものだし、ネットでいろいろ見ることは可能なのだが、ちょっとした数式を何千回も展開させることで初めて浮かび上がる世界は、自然の世界について、何事かを想わせずにはいない。

 当然ながら、ユリノキからの落ち葉は隣家だけに散るわけじゃない。
 我が家の庭にも、もっと舞い散ってきていた。
 そのほかの落ち葉共々、落ち葉の小道を気取ることも乙なもの。

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2012/10/28

断腸の思いで断ち切りました

 土曜日、隣家に接する敷地にあるユリノキの太い枝を伐採した。
 隣家から、風が吹くと、落ち葉が散ってきて、困るという苦情。

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← 広がっている枝葉のうち、向かって左側が消えてなくなった。片腕がもぎ取られたような…

 隣家の庭は、ご主人が葉っぱ一枚どころか、塵一つさえ見逃さずに、毎日、丹念に庭の不純物を排除しておられる。
 木々は、庭師を随時、雇って、それは見事に刈り込まれている。我が家とは大違い。

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2012/10/27

葬儀の際のトラブルを今、反省する(後編)

 まさにそこが私の甘いところ、半端な性分のなせる業(わざ)だった。

 Aさんは、その表は決定されたものと誤解された。
 自分は、Aさんに全面的に作り直されることを前提に、心は(喪主挨拶のことなどで)上の空なままに、供物割り振り表を作ったにすぎないのだが、Aさんは、自分が並び(供物の各親戚への割り振り)を任されていたはずなのに、それを勝手に表を作ってしまい、祭壇は私らの作った安直な、不格好な並びになってしまった。

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 あれでは、まるでAさんがあんな無様な並びを決定してしまったかのようではないか、自分の失われたメンツをどうしてくれる(親戚筋には、知恵袋的存在はAさんなのは、周知のことだったから、猶更)!

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2012/10/26

葬儀の際のトラブルを今、反省する(前編)

 父母が亡くなって、早、二年が過ぎた。
 七月には三回忌も無事、済ませることができた。
 祖父の代、あるいは父の祖父の代からお世話になり、また日常的に親しく付き合ってきた、近所のお寺の住職に、新しく立派な仏壇を我が家の奥座敷に設置することができた。

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 今日は、母の月命日で、開眼供養ではないが、我が家の新しい仏壇のお披露目も兼ねて、親しい親戚らに来てもらい、新しい仏壇を今日から使っていく、そのお勤めをした。
 俗世的な表現をすれば、旧仏壇から魂を抜き、新仏壇に魂を込める儀式をしたわけである(浄土真宗的に云えば、魂という観念は、論外なのであるが)。

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2012/10/25

街角のハロウィン風景

 先週末だったか、いかにもハロウィンパーティのお開きといった若者たちが店から出てきた。
 夜の十時か十時半頃だったか。
 ちょっと新鮮な驚き。

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← 「ジャックランタン」  (画像は、「ハロウィン - Wikipedia」より)

 東京でも、ハロウィンパーティに興じる若者は見たことがない気がする。そんな光景を富山で見ようとは。
 尤も、東京を離れて既に五年ほどになるのだが。
 ふーむ、娯楽の少ない富山だからこその光景なのだろうか。

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2012/10/24

「鞦韆」はブランコと読む

 昨日は、ほぼ終日の雨。
 幸い、風はほとんどなく、傘が役に立つ。
 雨となると、営業は忙しくなる…はずなのだが、忙しいのか、実際には大したことはないのか、つかみどころのない一日だった。

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→ 向かい合いブランコを漕ぐ少女たち (画像は、「ブランコ - Wikipedia」より)

 景気が悪く、以前のように、雨が降ったから行き着く遑もないほどに忙しい、なんて、うれしい悲鳴を上げることは皆無である。
 売り上げはさっぱりだが、営業の回数だけはやたらと増えていく…
 それでも忙中暇ありで、ほんの数頁、本を覗き見た。

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2012/10/23

秋の夕焼け

 この日記がアップされる頃には、雨が降り頻っているだろうが、この数日、夕焼けの光景に恵まれている。
 銭湯帰り、近所の公園の脇を通る。
 出かける時間は、帰りが夕焼けに際会できるよう、計算している。

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 今の時期だと、四時半頃に銭湯へ。
 温まった体で帰るのは、五時過ぎ。
 五時前には公園脇に居て、夕焼けの時を待ち受けるのが理想だが、小さな子供らの多い公園である、変なおっさんが一人、公園で立ち尽くしているのも、不審に思われそう。

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2012/10/22

ゾンビーと幽霊の間に

 ゾンビーなるものを、勿論、映画でだが、初めて見たときは、ちょっと怖かった(実は、凄く怖かった)。
 日本とは違い、西洋(の一部?)では、死者は火葬される(荼毘に付される)わけじゃなく、棺桶に遺骸が収められ土中に埋葬される。

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→  ハイチのゾンビのイラスト (画像は、「ゾンビ - Wikipedia」より)

 その骸(むくろ)が、まさに屍骸のままに蘇られ、やがて柩の中で目を覚まし、むっくりと上半身を起こし、どうやってか柩をこじ開け、墓地からやってきて、生きている(はずの)我々を襲うのだ。
 ライフルで撃っても、棍棒で殴っても、スコップで殴っても、一旦は倒れたり、体の一部が損傷したりするけれど、奴等は平気の平左で、また、起き上がり、こちらに向ってくる。

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2012/10/21

ある日

 フッと気がついた。無限に毒々しく広がる暗闇の中空を一匹の無様な虫が蠢く。ヒルだという直感。目を開けた、つもりなのだが闇は退いてはくれない。もしや盲目になったのでは……胸を突く恐怖……違う、目が見えないのではない、光がないと表現した方がいい、目の一寸先を真っ黒な物体が覆っているとも思える。彼の体。彼には横たわっているように感ぜられた。起きようとする。

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  (あれ!どうしたんだ、体がやけに重い、体全体が重くくるまれ圧されている風じゃないか!)と彼は思った。彼はもがいた、むやみにジタバタさせていた。と、一条の光がまぶしく彼の目を捉えた。日光が差し込んだのだ。朝、フトンの中のあがき……。

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2012/10/20

我が庭は来る人なしに秋の風

 秋もいよいよ深まりつつある。
 先月の中旬までの猛暑が夢かウソのよう。

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 雑草退治に追われる日々が、今は枯葉や落ち葉を掃きよせる日々に変わってきた。
 夏には樹木を鬱蒼と生い茂らせ、数か所のサンシェードと共に、日除けの役目を担わせてきた。
 お蔭で、猛暑も扇風機だけでやり過ごすことができた。 

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2012/10/19

マンデルブロの『フラクタル幾何学』へ

 過日、源氏鶏太著の『銀座立志伝』(集英社文庫)を読み始めた。同氏の作品を読むのは、恐らく初めて。

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← B・マンデルブロ=著『フラクタル幾何学 上』(広中平祐=監訳 ちくま学芸文庫) 「「フラクタルの父」マンデルブロの主著。膨大な資料を基に、地理・天文・生物などあらゆる分野から事例を収集・報告したフラクタル研究の金字塔」といった本。広中平祐=監訳ってのがすごい。

 富山出身の作家なので一度は読まないと、という義務感で読みだしたが、冒頭の数十頁で、どうにも我慢ならなくなった。付き合いきれない。
 なので、読むのは時間の無駄と、放棄し、上掲書を読むことに。

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2012/10/18

仏壇設置

 かねてより話のあった仏壇の件、本日、叶う。
 某所(施設)に安置してあったが、都合で置き場がなくなり、貰い手を探していたとか。

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→ 立派な仏壇を座敷の一角に設置。懸命に拭き掃除。

 場合によっては、廃棄も、という事態もありえたとか。
 さる方の仲介で、お宅は座敷が立派だし、大きな仏壇を置く場所もあるから、引き取ってみる気はないか、という打診があり、即座に承知。

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2012/10/17

源氏鶏太作品を読み始める

 車中での徒然に、源氏鶏太著の『銀座立志伝』(集英社文庫)を読み始めた。
 東北エイドの古書販売会場で源氏鶏太の古い文庫本を三冊、購入。
 ようやく手にする。

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→ 富山点景

 大急ぎで書いておくが、実際に読み始めたのは、『銀座立志伝』(集英社文庫)である。刊行されたのが1980/04 では、本書の画像はネット上に見出しがたいので、たまたま目にした(画像のある)本を例示させてもらった。

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2012/10/16

科学啓蒙書の魅力の彼我の差

 井上昌次郎著の『ヒトはなぜ眠るのか』( 講談社学術文庫)を読了。

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← 井上昌次郎著『ヒトはなぜ眠るのか』( 講談社学術文庫) 赤ちゃんのように、すやすや眠りたい、というのが小生のささやかな願い。ホント、安眠できたらいいなー。

 本書の原本は、1994年に筑摩書房より刊行されたとか。読み始めた瞬間、気が付いた。章末に補遺や文献を示してあるけど、基本的な理解はそれほど今と変わっていないって、あんまりじゃなかろうか。睡眠学や脳科学の研究の進展はそれほど遅い? あるいは、それほど、難しいってこと?

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2012/10/15

青い闇の道

 夢の中の道を歩いている…そんな気さえするほどにリアルな感覚がある。
 踏む足に大地の厚みを覚える。
 砂利と雑草と、コンクリートの破片とが奇妙に入り混じった、茫漠たる道が続いている。

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 道の先は見えず、振り返ることも後戻りすることも叶わない。
 振り返ろうとした途端、方向感覚を失っている自分に気付かされる。
 先というのは、顔がたまたま向いているがゆえに、先と思い込んでいるだけ。

 守り神だったはずの白猫も、すっかり老いて、そっぽを向いたまま。
 もう、お前を守る役目は引退の時期だと呟いている…。

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2012/10/14

シェールガスやメタンハイドレートは夢の話?

「シェールガス開発により世界のエネルギー供給量が大きく拡大すると予想している。ライス大学ベーカー研究所の研究では、アメリカとカナダにおけるシェールガスの生産量の増加によってロシアとペルシャ湾岸諸国からヨーロッパ各国へのガス輸出価格が抑制されると結論付けた」とか。

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→ 2010年メキシコ湾原油流出事故の光景。NASAの人工衛星テラが2010年5月1日に撮影した油膜。(画像は、「2010年メキシコ湾原油流出事故 - Wikipedia」より)

シェールガス - Wikipedia」によると、「シェールガス( shale gas)は頁岩(シェール)層から採取される天然ガス」で、「2000年代に入ってから水圧破砕(英語版)によって坑井に人工的に大きな割れ目をつくってガスを採取する技術が確立し、更に頁岩層に接している坑井の表面積を最大にするために水平坑井掘削技術(英語版)という技法で10,000フィート (3,000 m)もの長さの横穴を掘ることが可能となった。これらの技術進歩の結果シェールガス生産量が飛躍的に増加しシェールガスブーム、シェールガス革命などと呼ばれるようになった」もの。

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2012/10/13

世界新3大夜景に長崎、モナコ、香港が

 ラジオにぼんやり聞き入っていたら、この10月の5日、「夜景サミット2012 in長崎」が催され、香港、モナコと並び、長崎が世界三大夜景の1つとして選ばれたとのこと。
 これまでは、北海道・函館、イタリア・ナポリ、香港だったはず。

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← 「長崎夜景

 長崎で催されたから(開催地だから)選ばれたのか、それとも選ばれることが有力視されて、長崎がサミットの地として誘致に積極的だったのか。

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2012/10/12

『ヒトはなぜ眠るのか』…眠れるならいいなー

 さして忙しかったわけではないが、昨日は若干、残業し、帰宅したのは午前二時。
 幾分でも帰宅が遅くなると、翌日にしわ寄せがくる。

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→ 庭木の枝葉の刈り込み作業をして、さて家に入ろうと思ったら、蔵の脇の花壇に育つ鈴蘭に何やら異変が。見やってみると、実が生っている。花の季節はとっくに過ぎたが、いよいよ秋を告げる風情を恵んでくれた。

 残業しての帰りだと、すぐには寝つけず、テレビを見たり、軽く飲食したり(トマトやら野菜ジュースなど)、ネット散策などして気が付いたら、午前四時になってやっと寝床へ。
 ポストに入っていたチラシなどを眺めるともなく捲っていると、そのうち、眠気がようやく襲ってくる。
 といっても、二時間もしないうちに目覚めてしまう。
 睡眠障害の日々。

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2012/10/11

電気かガスか灯油か…車庫か

 自宅のふろを使えなくなって、二年以上となる。
 ちょうど父母の亡くなった頃、相前後するように、風呂の給湯装置の具合が悪くなった。
 灯油を使っているのだが、ボイラーの不具合が生じたのである。

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→ 「白で100万回、青で10万回、紫で2万回反復計算を繰り返して得たブッダブロ集合」 (画像は、「ブッダブロ - Wikipedia」より)

 思えば、父母の死に前後して、我が家にはいろんなことがあった。
 プッシュボタン式のトイレの水が、ボタンが戻らなくなり、水が出っ放し状態になった。
 その年、ミカンの収穫がほぼゼロだった(前年は、笊に二つ分)。
 キュウイが元気を失い、その年の暮れまでには、ほぼ枯れ木になった。

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2012/10/10

秋宵一刻値千金

 月の光が、胸の奥底をも照らし出す。体一杯に光のシャワーを浴びる。青く透明な光の洪水が地上世界を満たす。決して溺れることはない。光は溢れ返ることなどないのだ、瞳の奥の湖以外では。月の光は、世界の万物の姿形を露わにしたなら、あとは深く静かに時が流れるだけである。光と時との不思議な饗宴。
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 こんな時、物質的恍惚という言葉を思い出す。この世にあるのは、物質だけであり、そしてそれだけで十分過ぎるほど、豊かなのだという感覚。この世に人がいる。動物もいる。植物も、人間の目には見えない微生物も。その全てが生まれ育ち戦い繁茂し形を変えていく。地上世界には生命が溢れている。それこそ溢れかえっているのだ。

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2012/10/09

いよいよ庭木の剪定作業を開始

 一昨日、知人に誘われ、知人宅へお邪魔させてもらうことになった。
 その日は、特に午前中から昼にかけて天候不順だったが、午後からは安定した天気になった。

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 知人宅には数人誘われていて、その中の一人が運転する車に便乗させてもらった。
 その人は、午前は運動会があったけど、急激な雨に祟られ、大会は中止になるわ、雨にずぶ濡れになり、シャワーを浴びて着替えるなど、散々だったと愚痴っていた。

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2012/10/08

華明橋のたもとに立つガス燈

 富山市の歓楽街…接待と遊興の町、桜木町の外れ、松川に架かる華明橋のたもとに立つガス燈。
「現在のガス燈は昭和63年11月に往時をしのぶ意味もあって立てられたもの」だという(詳しくは末尾にて)。

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ガス灯 - Wikipedia」によると、ガス燈にも、「魚尾灯」「白熱ガス灯」と種類そして歴史があるらしいが、恐らくは往時は白熱ガス灯」だったのだろう(推測)。
 今は、 無論、近づかなくても察することはできようが、ガスではなく、電気(白熱灯)であろう(これも、推測であるが)。

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2012/10/07

田山花袋『東京の三十年』の周辺

 昨日から車中での待機(休憩?)中、田山花袋作の『東京の三十年』(岩波文庫)を読み始めた。
 本書を手に取ったのは、藤村や綺堂など、明治や大正、昭和の初めなど、古き良き(かどうか分からないが)東京の往時の姿を、せめてその影をでも慕う気持ちの一環である。

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← 田山 花袋【作】『東京の三十年』(岩波文庫)

 田山花袋については、『蒲団』を二度ばかり(その際、『田舎教師』も一緒に)読んだだけで、必ずしも関心を強く抱く対象ではなかった。
 本書についても、つい先日の書店での物色でたまたま見つけたのである。

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2012/10/06

『偶然の音楽』から『時間と宇宙のすべて』へ

 一昨日、書店へ。
 本のまとめ買いのために。
 十冊以上、買った。

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← アダム・フランク(著)『時間と宇宙のすべて 』(About Time 水谷 淳(訳) 早川書房)

 まとめ買いというと、豪勢のようだが、ほとんどが文庫本。
 十年ぶりに島崎藤村の『夜明け前』を読むつもりでいる。
 これが文庫本(岩波)で四冊。
 マンデルブロのカオスについての有名な大著。これが上下の二冊。

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2012/10/05

「フランスの広重」ノエル・ヌエット(後編)

 つい先日、「雨粒のバラード」なんて駄文を綴ったからだろうか、その翌日の午後、本物の雨降りってのは、こんな風に降るんだよ、と言わんばかりの豪雨となった。

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 さっきまで明るかったのが、妙に暗くなったなーと思ったら、篠突く雨となった。
 雨の風景にはなぜか魅入られるものがある。
 ほんの数年前までは、雨降りの日は創作と決めていたものだったが、富山に帰郷してからは、雨が降っても、なぜか筆が進まない。
 なぜだろう…

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2012/10/04

「フランスの広重」ノエル・ヌエット(前編)

 ひょんなことから、ノエル・ヌエットなる詩人版画家の存在を知った。
 小生には全く初耳の版画家である。

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← Noel Nouet 「Ikegami Honmonji (Showa 12) 1937」 (画像は、「The Woodblock Prints of Noel Nouet」より)

 職人が刷った(摺った)広重の「東海道五十三次」(保栄堂版)を所蔵しているにも関わらず、読売新聞の販促品である、広重の同作品の複製画が毎月二枚届くのを楽しみにし、ファイルしている始末。
 茶の間の壁には、父が集めていた広重(や歌麿、滝平二郎ら)の作品(あくまで複製)を額入りで飾ってある。

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2012/10/03

雨滴のバラード

 台風が列島の中心部を通過していった日の翌日、富山は晴れたり曇ったり、時折、雨になったり。
 外仕事もできないし、家の中にこもっていた。
 不意に結構な雨。驟雨…でもないが、すぐにも上がりそうな予感。

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 雨の庭の光景を撮りたい。待望の雨に喜ぶ草木の様子など。
 鳥たちはほとんど姿を見せない。
 たまに濡れて一層、黒光りする姿を納屋の隅っこに見せるだけ。
 鳥には雨は苦手のようだ。

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2012/10/02

仕事が暇ゆえの余裕

 台風一過というには、富山は影響はあったものの、大過なく過ぎ去った。
 テレビやラジオの報道には関心を払っていたものの、肩透かしを食らったような感じ。

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← 岡本 綺堂【著】『もっと、「半七」!―半七捕物帳傑作選〈2〉』(北村 薫 宮部 みゆき【編】 ちくま文庫)

 建物や人的被害はなかったものの、交通機関は大きな影響を被った。
 台風は遠くにあるのに、鉄道も飛行機も早々と運行をストップ。

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2012/10/01

富山と田圃と私

父祖の代よりの百姓家

 我が家は父祖の代よりの農家だった。父の祖父の代に本家から多少の田圃と共に分家したのである。もっとも、父の代になって父が国鉄に勤めたこともあり、兼業農家になったが、しかしそれでも一昔前まではそこそこの米を作っていたし、畑もあったのである。

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→ 近所にわずかに残る田圃。我が家にはもう田圃はない。

 それが今、風前の灯の状態にある。それというのも小生という甲斐性のない息子が出来たばっかりに、せっかくの農地も畑も年々削られ、今は、我が家の前に自家で食べる分の米が取れるだけの僅かな農地しか残っていない。
 しかも、それさえも既に人手に渡っていて、地の利の関係で譲渡先の方が今は使えないので、管理する形で細々と父母二人で米を作っているのである。


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