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2012/09/24

スタニスワフ・レム著『高い城・文学エッセイ』再読

 一気に秋めいた気候になった。
 朝晩どころか、日中さえ、寒く感じられる。
 つい先日までの猛暑の名残で、いまだに半そでなのがまずいのだろうが。

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← スタニスワフ・レム著『高い城・文学エッセイ』(沼野 充義 巽 孝之 芝田 文乃 加藤 有子 井上 暁子【訳】 スタニスワフ・レム コレクション 国書刊行会) 本書は、『ソラリス』(沼野充義訳)と共に借りてきたのだが、ある意味、『ソラリス』以上の収穫だった。特に、表題の「高い城」は、自伝のはずなのだが、とんでもなくハイブローな文学論。そもそも、レムの批評はSF論を軸にしているが、並みの文学論の書き手よりはずっと読みが深いし、分析が鋭い。知能指数が180ってのは、伊達じゃない。論旨についていけない場合がしばしばだが、それでも、示唆的なのである。

 スタニスワフ・レム著の『高い城・文学エッセイ』(沼野 充義 巽 孝之 芝田 文乃 加藤 有子 井上 暁子【訳】 スタニスワフ・レム コレクション 国書刊行会)を再読した。
 図書館から借りだして読んだものだが、エッセイの舌鋒の鋭さが印象に強く、敢えて購入しての再読なのである。

 レムはSF作家である。自分でそう言っているし、独自のSF小説の世界を創造している。
 小生は、特に中学生の頃を中心にSF小説の世界に嵌った(やや大げさか)。
 推理小説(探偵小説)よりもSFが性に合っている気がした。
 けれど、数年にも渡らないSF小説熱も、呆気なく冷めてしまった。
 一般の文学作品、やがては哲学書などに趣味が移っていったのである。
 文系人間にも読める啓蒙的な内容だが、サイエンス系の本を取るようにもなっていた。

 高校一年の時に読んだ、シャーロッテ・ブロンテの『ジェイン・エア』に圧倒され、本物の文学の凄味を知り、以後、SFはもとより、ファンタジー小説など見向きもしなくなった。

 そもそも、中学の二年か三年の頃にSFに辟易してしまったのは何故なのか。
 アメリカの作家を中心とするSF小説には、人間が描かれていないのは乏しい文学体験のない小生にも察せられたが、物足りなく感じる理由はもっと他にある…ように感じていたはずだが、特に自分で分析を試みることもなかった。
 本書スタニスワフ・レム著の『高い城・文学エッセイ』SF論を読んで、もどかしかったものが鋭く解きほぐされた思いがした。

 英米を中心とするSF作品は人間を描くことは眼中にないのは仕方ないとして、サイエンスにしても中途半端な考察と理解しか為されていない。宇宙人と遭遇した際、宇宙人の描き方が雑、異星人(未知との遭遇)の、深甚なる脅威が小生のような素朴な奴さえをも納得させるほどにも描かれていない。

 ハリウッド映画での、ヒーローらの敵は、大概はその時の敵性国家を念頭に置いて設定されている。
 ロシアだったり、日本だったり、中南米だったり、アフガニスタンなどイスラム系だったり。
 SFもその伝を外れることはない。
 要はアメリカ人に気に食わない連中(国々、宗教圏の人々の世界)をデフォルメして異星人として、あるいは悪の帝国(世界)として描かれているだけで、ヒーローの薄っぺらさが読み始めるとすぐに透けて見えてしまう。
 レムだと、宇宙人を描くにしても科学的な裏打ちはもちろんだが、哲学的にも文学としても徹底した考察を加えている。本物の文学に圧倒された体験を持つものでも、読むに堪える作品を試みている。

Solaris

← スタニスワフ・レム著『ソラリス』(沼野充義訳) 以前、ツイッターにも書いたが、「スタニスワフ・レムは、一級のSF小説を書こうとした。実際、『ソラリス』などを書いたが、彼の鋭すぎる批評眼は、どこまでも高みを求める。とうとう書かれざる本の書評を書き、ついには、一切、作品を書かなくなった」のである!

 さて、レムは、こんな単純な理屈を並べたてたりはしていない。
 まあ、いくつかの文学エッセイなど、SF論などを読んでもらうしかない。
 表題の『高い城』や『偶然と秩序の間で――自伝』などの自伝の秀逸さも指摘しておく。
 これらの自伝だけでも再読、再々読の値打ちがある。


 

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コメント

聞いたこともない作家を読まれてますね。
さすが、小説を書かれるだけのことはある。
ところで弥一さんは、哲学専攻でらっしゃるが、哲学と文学をどう捉えておられるのかな?
まあニーチェなんて哲学とも文学とも言えますが、或いは弥一さんの関心が文学に移るきっかけは?
僕はいまだに哲学だ。レヴィナスの本Amazonで注文しちゃいました。
そういえば、くにみやいち、92381の9/23でしたね。

投稿: oki | 2012/09/24 20:00

弥一は、8月1日です。
国見八朔もありだったかな。
もっさりしてますが。

誕生日は2月の終わり。
天才は冬に生まれるのです。

投稿: 青梗菜 | 2012/09/26 00:19

okiさん

 スタニスワフ・レム、特に『ソラリス』は映画にもなったりして結構、有名かも。
ミーハーの小生も知っているくらいだし。
本書の中で、「高い城」は、一読の値打ちありです。

哲学書をあまり読まなくなったのは事実です。
でも、これはSFじゃないけれど、哲学より科学好きってことがあるけど、それ以上に、科学で得られる知見があまりに先鋭的だったりして、哲学プロパーではもはやフォローできていない気がするのです。
子供からの心臓移植の問題は?
高齢化とガン、人間とは。
脳科学、宇宙論、ほとんど哲学の手に余ります。
書店では必ず哲学書のコーナーも物色しますが、科学哲学に限らず、あーあ、という感が先に立ってしまいます。

文学への傾倒は確かですが、別に哲学的世界の小説的表現を求めているわけじゃないです。
哲学に関心を持った一番の動機を一言でいうと、やや陳腐かもしれないけど、センス・オブ・ワンダーに尽きます。

折々、変てこな短編を書いたりしますが、モチベーションの取っ掛かり、突破口は、驚異の念。

クニミの日、覚えておられましたか。
プロフィールの頁でも、冗談めかして書いてありますが。
あれから四十年以上。
さすがにその日は平穏に過ぎました。

投稿: やいっち | 2012/09/26 20:52

青梗菜さん

弥一の元である8月1日については、本ブログでも結構、詳しく書きました。
その日記の題名を失念し、この頁と言えないのがもどかしい。

二月生まれってことをご存じとは。
早生まれの意味するところについても、本ブログでだったか、書いたことがあったような。

本ブログではなかったので、敢えて載せました:
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2012/09/post-70e6.html

投稿: やいっち | 2012/09/26 20:55

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