「おわら風の盆」へ
過日、富山市は八尾で毎年催される、「おわら風の盆」へ行ってきた。
といっても、仕事である。
タクシードライバーとして、現地のタクシー会社の応援要員として駆り出されたのである。
この祭りには、会期である三日間の間に(警察の発表した事前の見通しでは)26万人の観光客が来る。
とてもじゃないが、現地のタクシー会社の車両(ドライバー)だけでは対処できない。
その日の早朝、出社すると、八尾へ行くかと打診されたのだ。
小生はもともとは八尾では営業するつもりはなかった。
かなりの台数のタクシー車両が応援で駆り出される。
ということは、富山の市街地に残る台数が減るということではないか。
だったら必ずしも地理に明るくない八尾で苦労するより、通常通り富山市の中心部で営業したほうが賢いではないか。
が、無線の仕事、派遣の仕事といった会社からの指示は原則断らないことにしている。
少ない仕事なのだし、流しではほとんど仕事ができない富山(地方)という事情を鑑みると、会社から振られる仕事はありがたく頂戴する。
それがいささか困難なものでも。
しかし、八尾での営業は厳しいものだった。
富山の市街地から八尾へは行ったことがある。
しかし、決して狭いとは言えない八尾の町の中での営業は経験がない。
八尾の町の中を自在に走り回る知識も経験も持ち合わせていない。
昨年、八尾での風の盆のため、会社による研修に参加したことがある。
八尾での祭りのメインの会場や道、目印となる病院や交差点、交通規制で走る路線の限られるルートの確認などは一応は勉強した。
さりながら、一通りの勉強で町中を自在に走るなんて無理である。
研修の数日後、一人で八尾へ自家用車で向かい、交通規制図などを頼りに走っても見た。
けれど、それでも地理は頭に入らない。
そもそも生まれ育った富山市の中心部だって、地理感覚を一定程度身に付けるまで数か月を要している。
それも、日々、何度もの営業走行を繰り返して体に刻み込むようにしてやっとである。
たかだか一日や二日の走行では分かるはずもない。
まして、事前の試験走行は交通規制されていない、通常の八尾の町を走ったわけで、規制されるとどう走るのか、規制図というまさに机上の知識以上の何も身に付いていないのだ。
八尾の駅前のタクシー会社の営業所へ出向く。
早朝からすでに営業所には数台のタクシーが列をなしている。
営業所の電話が鳴り、順番待ちするタクシードライバーに仕事が割り振られる。
いよいよ小生がトップになる。
営業所の係員が、どこどこへ行け、と云う。
地元のタクシードライバーやベテランのドライバーなら分かるのだろうが、指示内容がまるで理解不能である。
地元のドライバーなら目印となる建物(消防屯所や寿司屋など)や、町名、お寺、通りの名前、交差点の名前など一言聞けば分かる。
でも、小生はチンプンカンプン。
お経の文句を告げられているような。
聞き返して、行き方を聞いても、やはり、地元の人間、経験者でないと察することのできないような説明。
そもそも、係員も暇じゃない。
指示をぱっぱと告げると次の仕事の割り振りに関心が向く。
分からなくても行かないといけない。
しかし、うろ覚えの地理、覚束ない理解で、いったい、どこへ?
しかも、客が指定する時間が迫る。
祭りの会場である坂の町のど真ん中で立ち往生。
小生がどのようにして苦難を乗り切ったか、口には言えない苦労があった。
そうはいっても、「おわら風の盆」は、小生の関心事である。
地元富山市の人間としては一度は見物したい。
営業中で、踊りや演奏をゆっくり眺めるわけにはいかないが、祭りの雰囲気くらいは味わえる…はずである。
この辺りのこと、後日、改めて書いてみたい。
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