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2012/09/27

鈴虫の終の宿

 昨夕、銭湯からの帰り、家に近づくにつれて、何やら虫の鳴く声が喧しい。
 あの鳴き声は…鈴虫!

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 昆虫に限らず虫に詳しいわけではないが、さすがに鈴虫の鳴き声だけは、子供のころから馴染みがある。
 それにしても、我が家の近くで鈴虫がこんなに鳴いていたとは、初めて気が付いた。
 鳴き声の出所は何処だろうと、自転車を止めて、辺りに耳を澄ませてみたけれど、はっきりしない。

 我が家の庭は雑草もだが、樹木も枝葉が鬱蒼と生い茂っている。
 近所の方に、緑が深いですなーと、手入れの行き届かなさを皮肉られたくらいである。
 一方、対面の屋敷も緑が深い。
 この家は、折々しか家主が在宅しない。
 庭木の手入れはどうしているものか。
 あるいは裕福な家だけに、業者に任せているのか。

 ほかに緑深い家は近所にはない。
 時折、家の中にさえ、忍び込む。
 銭湯帰りなど、明かりを灯した瞬間、足元を黒い影がチョロチョロと。
 すわっ、ゴキブリか! と一瞬、驚くが、光沢の一切ない背中などからも、恐らくはコオロギだったのだろう。
 真っ暗闇の、あちこちに隠れ忍ぶ場所が多い、格好の遊び場のはずが、突然の野暮な物音、そして眩い明かりにパニック状態になったろうことは、推測に難くない。

 鈴虫は、特にその鳴き声には日本人は昔から親しみ、思い入れも深かったようだ。
 短歌や俳句にも、その題材として、あるいは情の湧く契機として扱われてきた。
 俳句では秋の季語である

鈴虫」から一部、転記させてもらう:

いづこにも草の枕を鈴虫はここを旅とも思はざらなん 伊勢

鈴蟲の聲ふりたつる秋の夜は哀にもののなりまさるかな 和泉式部

おもひおきし淺茅が露を分け入ればただわずかなる鈴虫の聲 西行

鈴虫や松明さきへ荷はせて 其角

鈴むしの鳴やころころと露の玉 暁台

すゞむしや手あらひするも蒔絵もの 暁台

秋の野に誰れ聞けとてかよもすがら聲降り立てて鈴蟲の鳴く 良寛

秋風の夜毎に寒くなるなべに枯野に残る鈴蟲の聲 良寛

飼ひ置きし鈴虫死で庵淋し 子規

鈴虫のひげをふりつつ買はれける 草城

鈴虫に須磨の人とて遙かかな かな女

鈴虫を聴く庭下駄を揃へあり 虚子

夫とふたり籠の鈴むし鳴きすぎる 貞

思ひさへ鳴く鈴蟲にはばかられ 汀女

鈴蟲のお伽に安き眠りかな みどり女

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 そういえば、夏のいつごろからだったろうか、畑仕事していると、不意に何かの昆虫を見かけたことが折々あった。
 虫や動物の類は、畑だし、よく見かけるが、コオロギなどの虫が飛び出してくると、おやっと思ったりする。
 雑草を刈り、実の生らなくなったキュウリやナス、ジャガイモ、トウモロコシなどを畑から一掃する。
 裸の畑。まして、今年は防草シートを、来年、植える部分を除いて、一面に張り巡らした。
 コオロギに限らず、虫たちの居場所が随分と乏しくなった。
 一方、庭のほうは、雑草とは云いかねる、花の季節の終わった、草花が鬱蒼と言っていいほどに茂っている。
 鈴虫たちの恰好の隠れ場所である。
 こちらのほうまで小奇麗にはしたくない。
 庭のある家は近所でも少なからずある。
 でも、我が家ほど深い緑の家はない(云うまでもなく、褒められる意味で深いと言っているわけじゃない)!
 怠惰の言い訳のようでもあるが、結構、本音でもある。

鈴虫の終の宿かと庭に立つ   弥一

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