鈴虫の終の宿
我が家の庭は雑草もだが、樹木も枝葉が鬱蒼と生い茂っている。
近所の方に、緑が深いですなーと、手入れの行き届かなさを皮肉られたくらいである。
一方、対面の屋敷も緑が深い。
この家は、折々しか家主が在宅しない。
庭木の手入れはどうしているものか。
あるいは裕福な家だけに、業者に任せているのか。
ほかに緑深い家は近所にはない。
時折、家の中にさえ、忍び込む。
銭湯帰りなど、明かりを灯した瞬間、足元を黒い影がチョロチョロと。
すわっ、ゴキブリか! と一瞬、驚くが、光沢の一切ない背中などからも、恐らくはコオロギだったのだろう。
真っ暗闇の、あちこちに隠れ忍ぶ場所が多い、格好の遊び場のはずが、突然の野暮な物音、そして眩い明かりにパニック状態になったろうことは、推測に難くない。
鈴虫は、特にその鳴き声には日本人は昔から親しみ、思い入れも深かったようだ。
短歌や俳句にも、その題材として、あるいは情の湧く契機として扱われてきた。
俳句では秋の季語である。
「鈴虫」から一部、転記させてもらう:
いづこにも草の枕を鈴虫はここを旅とも思はざらなん 伊勢
鈴蟲の聲ふりたつる秋の夜は哀にもののなりまさるかな 和泉式部
おもひおきし淺茅が露を分け入ればただわずかなる鈴虫の聲 西行
鈴虫や松明さきへ荷はせて 其角
鈴むしの鳴やころころと露の玉 暁台
すゞむしや手あらひするも蒔絵もの 暁台
秋の野に誰れ聞けとてかよもすがら聲降り立てて鈴蟲の鳴く 良寛
秋風の夜毎に寒くなるなべに枯野に残る鈴蟲の聲 良寛
飼ひ置きし鈴虫死で庵淋し 子規
鈴虫のひげをふりつつ買はれける 草城
鈴虫に須磨の人とて遙かかな かな女
鈴虫を聴く庭下駄を揃へあり 虚子
夫とふたり籠の鈴むし鳴きすぎる 貞
思ひさへ鳴く鈴蟲にはばかられ 汀女
鈴蟲のお伽に安き眠りかな みどり女

そういえば、夏のいつごろからだったろうか、畑仕事していると、不意に何かの昆虫を見かけたことが折々あった。
虫や動物の類は、畑だし、よく見かけるが、コオロギなどの虫が飛び出してくると、おやっと思ったりする。
雑草を刈り、実の生らなくなったキュウリやナス、ジャガイモ、トウモロコシなどを畑から一掃する。
裸の畑。まして、今年は防草シートを、来年、植える部分を除いて、一面に張り巡らした。
コオロギに限らず、虫たちの居場所が随分と乏しくなった。
一方、庭のほうは、雑草とは云いかねる、花の季節の終わった、草花が鬱蒼と言っていいほどに茂っている。
鈴虫たちの恰好の隠れ場所である。
こちらのほうまで小奇麗にはしたくない。
庭のある家は近所でも少なからずある。
でも、我が家ほど深い緑の家はない(云うまでもなく、褒められる意味で深いと言っているわけじゃない)!
怠惰の言い訳のようでもあるが、結構、本音でもある。
鈴虫の終の宿かと庭に立つ 弥一
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