思い出の浜へ
海水浴場といっても、テトラポットで区画された、遠浅とは程遠い浜。
ガキの頃の記憶をたどると、波打ち際をほんの数歩、海のほうへ歩くと、一気に腰の辺りへ、どころか体が沈み込んでしまうという恐怖感の湧く、怖い海なのである。
浜は削られる一方で、ドンドン浸食されていく。
テトラポットの先は大人でも立っていられないほどの深さ…のはず。
ガキだった(カナヅチであり臆病でもあった)小生は、テトラポットの居並ぶ一角へさえたどり着いたことがない。
泳げなかったこともあるが、子供の体では立った状態でも、海に沈む深さで、波に呑まれる。
→ つい三日前にも来る機会があったが、あいにく夜で、撮影を試みるも、何が何だか分からない画像だったので、アップを断念した。
以来、海、そして浜というのは、そういうものだという感覚と思い込みから逃れられないできた。
十年ほど前だったか、熱海の海岸を友人連と歩く機会があったが、遠浅の海の優しさを初めて知った。
海、波打ち際の怖さに、海水浴場へは足が遠ざかったままに大人になってしまったのである。
富山の海、海岸は、どうしてこんなに一気に沈み込む浜なのか。
何本もある一級河川にはどれもダムがあり、上流から土砂が海へ流れ込まなくなり、浜辺に砂が溜まることがなくなり、海辺は波に削られ、昔は遠浅だったとしても、今のような浜辺に成り果てた… そんな風に考えてみたこともある。
けれど、実は事情が違う。
富山湾の海は、実は三千メートル級の山の連なる立山連峰の織り成す、急峻なる崖の一端なのである。
富山湾の海は浜辺から一気に千メートルの深海へと沈み込んでる。
「3,000メートル級の立山連峰から水深およそ1,000メートルの富山湾まで高低差4,000メートルにもおよぶ富山県のダイナミックな地形は全国的に見ても非常に特徴的」なのだ:
「BBTWEB 2006年7月9日 やっぱり不思議な富山湾」
つまり、立山連峰は四千メートル級の山の連なりであり、たまたま途中、扇状地もあり、平野もあり、そこに人が住み暮らしているが、平野部と云いつつ、実のところ、ある意味での踊り場に過ぎないのである。
岩瀬浜の画像を幾つか、載せてみた。
昨日、撮影したものである。
子供の頃とは、あるいは初恋の人と歩いた頃とは、随分と様子が違っている。
綺麗に整備されている。
遠い日の痕跡は、皆無である。
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