長谷川和衛そして稲塚権次郎へ
過日、福光美術館にて開催中の向井潤吉展に行ってきた。
すると同館内の市民ギャラリーにて、「越中民家解剖学 人の暮らし展 ―長谷川和衛ペン画の世界―」が催されていた。
せっかくなので、覗いてみる。
→ 「越中民家解剖学 人の暮らし展 ―長谷川和衛ペン画の世界―」 手元の画像は縦になっているのに…
観客は小生一人である。
一人静かに眺めて回ろう…、そんな思惑はあっさり崩れた。
ギャラリーの真ん前の休憩所に待機していた、まさに長谷川和衛氏がわざわざ説明にと、立ち上がってこられたのである。
同氏はギャラリーにて展示されているすべての作品について、丁寧に説明してくれた。小生一人のために。
話の内容はどれも興味深いものばかり。
全てをアトランダムにでも、メモしておきたいが、ここでは一つだけ、メモしておく。
それはこの特別展示での説明で知った稲塚権次郎さんのこと。
あまりに偉大な功績を残された方。
「稲塚権次郎とボーログ博士」なる頁が詳しい。
「世界を変えた「農林10号」 一粒の種子が世界をかけめぐり、世界を変えていった」なる表題だけ、示しておく。
← 画像は、「稲塚権次郎:イザ!」より
先に進む前に、長谷川和衛(としもり)氏のことについて紹介しておくべきだろう。
が、今は、「和環境文化研究所主宰、日本民俗建築学会会員」とだけメモしておく。
ネットで情報はそれなりに得られるが、「なんと万華鏡 稲塚権次郎さんの家」なる頁が、稲塚権次郎さんの家とのかかわりの上でも、参考になる。
長谷川和衛氏は、合掌造りの家や越中八尾の旧町の風情などをペン画に残してこられた方。
稲塚権次郎さんの家についても、古民家的価値を知悉されていた。
それが町当局の無理解で取り壊されることになったことを知り、当局に稲塚権次郎さんの家の世界的な遺産に値すると訴えた。
が、当局は構わず、取り壊し作業に取り掛かった。
一方、北日本新聞も、稲塚権次郎さんの麦の研究の、ノーベル賞に値する重要さを知っており、長期にわたるキャンペーンを張ったりして、稲塚権次郎さんの家の取り壊し反対などを訴えた。
これらの運動が功を奏したのか、町当局は慌てて取り壊しを中止。
→ 飛越合掌文化研究会 著『 「世界遺産の合掌造り集落」 白川郷・五箇山のくらしと民族』(岐阜新聞社 1996年) 「岐阜新聞社出版局、北日本新聞社出版部の企画・編集により、飛越合掌文化研究会の高田善太郎、角竹弘、長谷川和衛の3氏による書」。
だが、建物の一部は既に壊されてしまっていた。
それでも、残った部分は解体し、移築され残った。
しかし、長谷川和衛氏によると、解体を中止した時点では、家の大黒柱は残っていたのに、移築された家には、別の新しい柱が用いられていて、遺構的価値がグンと減ってしまったと嘆かれていた。
大黒柱の表面の傷も含めて値打ちがあるのであり、その大黒柱を使わないとは、家の、古民家の価値や意義をまるで理解していない…
なお、「越中民家解剖学 人の暮らし展 ―長谷川和衛ペン画の世界―」のポスターに、稲塚権次郎さんの旧家の写真が載っている。
貴重な写真である。
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コメント
今、横浜に住んでいます。父から自分の先祖は富山出身だと聞いていましたが、関係があるのか是非調べてみたいと
思います。小生も、稲塚権次郎翁と同じ、東大農学部大学院を出て、研究者の道を歩んで来ました。在学当時は勿論のこと、この情報を知るまで、全く知りませんでした。大変興味ある情報なので是非是非訪ねてみたいと思います。どこの?どなたをお尋ねしたらしたら良いのでしょうか?恐れ入りますが、教えて頂けますか?吉報を待っています!
投稿: 稲塚新一 | 2013/01/04 17:07
稲塚新一さん
わざわざコメント、ありがとう!
「稲塚」という苗字は、必ずしも多いほうではないようですね。
となると、出身県である富山との関係、気になるでしょうね。
ただ、生憎、小生自身は本ブログで示した以上の情報は持ち合わせていません。
長谷川和衛氏、あるいは、キャンペーンを張られた北日本新聞に問い合わせてみるのも手なのかなとは思います。
投稿: やいっち | 2013/01/09 20:57