身辺整理じゃないけれど
中元や歳暮、冠婚葬祭の引き出物の類(多くはタオル。父母の代からのモノが多数)は、バザーなどがあるたび、寄付の形で出していった。
多少は金目のモノというと、たとえば、テレホンカードである。数えたら二十枚以上あった。
テレホンカードは、ほかにも家の何処かにあるはずだが、見つからない。
昔は少しは重宝したものだが、そんな時期は短くて、呆気なく過ぎ去った。時代の変化が速すぎる。
集めようと思っていたわけじゃないが、気が付いたらそれだけ溜まっていた。
使用中のものも数枚ある(これらは追々使い切るしかない)。
電話ボックスを探し出し、カードを使って電話する。
今も可能なのだろうが、電話ボックスを探す手間が大変である。
最後にテレホンカードを使ったシーンを今も鮮明に覚えている。
あれは夜だった。
世の人は、かなりの人が持ち始めていたが、自分はまだ携帯電話を持っていなかった。
小生がタクシードライバーになって数年の頃だった。
お客さんの忘れ物の件で電話する必要が生じたのだが、携帯がなく、タクシーを駆って、電話ボックスを探し出し、電話。
その日は生憎の雨だった。
車から濡れるのを覚悟で出て電話ボックスへ。
なんとなく惨めでもあった。
やはり、時流に乗るわけじゃないけど、携帯電話は必要だな……
さらに使い損じ(書き損じ)の葉書。
あるいは使いきれなかった年賀葉書。
それらはまず、郵便局で一枚当たり五円の手数料を払って、普通の葉書に交換する。
溜まりに溜まって六十枚。
あまり葉書を出す用事もなく、手元に数枚だけ残して換金。
あとは、商品券やビール券の類。
富山で使える商品券はかなり使ったが、なぜか富山では使用が断られる商品券もあった。
ビールは飲まないのでビール券はあっても仕方がない。
これらを換金して、幾ばくかのお金になった。
でも、今日、新聞代の支払い、お袋の月命日ということで、お坊さんへのお布施、自転車のベル交換、などに消えた。
あと残っているのは、切手類と若干の古銭、そして外国通貨(紙幣)。
外国のお金は、海外旅行の名残である。
切手や古銭の中には、やや年代ものもあり、額面で評価されては損である。
といって、富山には、昔のようには切手屋も古銭の店もない。
それこそ、売っても小遣いにもならないが、あっても仕方ない。
生い先が長いとは思えないし、少しでも生活費の足しに…なんて、なんか惨めに感じるのは、仕方ないのだろうか。
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