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2012/09/16

富山の郊外を愛でる

 富山県は、面積の上では、それほど大きな県ではない。
 東京在住時代、オートバイを駆っての帰省の折、関越自動車道あるいは上信越自動車道、北陸自動車道などを利用したものだが、大きな長野県を、あるいは新潟県(の、それも半分)を横切る長さに比べ、富山県境を越してからの距離は、あっという間だった。

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 新潟県の長岡ジャンクションから富山県境までの長いこと。富山県に一旦、入ってしまえば、あとは一気だった。
 気分的なものも大きかっただろう。朝日町や黒部という地名を目にすれば、我が家はもう目の前…

 富山県には無縁な関東や東北、関西、あるいは北海道や九州四国在住の方にすれば、日本地図上で富山県の位置を示すのも、覚束ないやもしれない。
 実際、東京在住の頃、富山県人としては、敢えて富山の話題を持ち出したりするのだが、多くはピンと来ない。

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 富山って、一体、どこ。
 石川の一部と思っているような感覚もあったりする(実際、昔は富山は石川の一部だった。懸命の努力で分離独立したのだ)。

 悔しいが、それが現実。
 
 それでも、富山に帰郷し、昨年辺りから、仕事柄、富山市だけではなく、富山県内各地を車で移動する機会に恵まれるようになって、観光地や名所はもちろんだが、格好のドライブコースがあるじゃないと、気づかされることがしばしばなのである。

 ただ、惜しむらくは、仕事中、つまり、お客さんを乗せての、目的地へ向けての走行中なので、これは絶景かな! と感銘を受ける瞬間があっても、車を止めるわけにも、まして、感興を覚えた瞬間に、即座に眺める、撮影する、なんてわけにはいかない。

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 それじゃ、お客さんを下してから、帰り道に、そのビュースポットへ戻り、鑑賞なり撮影なりを行えばいいじゃないか、となるのだが、案に相違して、同じルートを辿るのは存外難しい。
 それ以上に、市街地から郊外へ向かう際の光景と、帰路の光景とは、同じ場所であっても、まるで違って見える。
 不思議なものだ。

 ここには心理的なものも左右しているのかもしれない。
 お客さんを乗せていて、車を止めるわけにいかないという状況だからこそ、逆に一瞬の光景がより際立つ、それが、いつでも止められるとなると、もっといい光景、もっといいスポットをとなって、いつのまにか町中へ迷い込み(舞い戻り)、絶景を楽しみたいというような殊勝な思いなど、流れゆく後景に埋もれ消え去ってしまう…

 つまりは、試験の前日となると、もっと本を読みたい、もっと勉強しておけばよかった、云々と思うが、一旦、試験が終わると、気分が解放され、殊勝な思いなど、あっさり潰え去ってしまう…ような?

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 おっと、話が脱線してしまった。
 たまにではあっても、富山県内の郊外を走ってみると、案外と広いし、いろんな道があるし、名所観光地でなくても、素晴らしい光景の広がる場所が、結構あるものだ、という実感を呟いてみたかっただけである。
(肝心の富山の知られざる絶景やドライブコースの写真画像は、というわけで、なかなか撮れないのが現実なのである、という言い訳をしてみたのだ。)

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