節電は政府の企み?
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今日はダラッとした一日を過ごした。
瑕疵を探せばきりはないが、一応大過なく役目を果たした、ということにしておく。
知り合いからの用事もすげなく断って、何もせず、ただボヤーと長椅子に体を埋め…
← ポール・オースター/著 『幻影の書』(柴田元幸/訳 新潮文庫)
そうはいっても一人暮らしの身、今夜や明朝の食事の材料だけは買い物してきたが。
材料というと、聞こえはいいが、出来合いの食品ばかり。
暑くなるので、夏場は調理したくない!
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本日、三回忌の法要、つつがなく(?)終えることができた。
肩の荷が降りたという感が強い。
← ハーマン・メルヴィル:著『 タイピー 南海の愛すべき食人種たち』( 中山 善之:訳 柏艪舎)
喪主なので、責任がのし掛かっている気が、ずっとしていた。
法要のあとの会食を終え、自宅に戻ったら、体から力のようなものがスッと抜けたようで、長椅子に体を沈めたら、脱力状態のように。
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いよいよ三回忌の法事の日が迫ってきた。
畑や庭の草むしり作業は、思い通りには進まなかったが、恐らくは親族の誰も、庭の様子などには頓着しないだろうし、現状で十分と思うことにする。
先日は、親戚のものがやはり法事で我が家の近所にある菩提寺を訪れ、ついでというわけではなく、我が家のお墓に参り、我が家の仏壇にも参って行かれた。
身体が自由ではないので、親族に送迎を願っての墓参である。
先週のうちに、完璧ではないものの、墓掃除を済ませておいて良かった!
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過日、富山県観光ガイドドライバー養成講座を受講してきた。
これは、「富山県コンベンンション助成事業」の一環として行われて居るもの。
富山県観光ガイドドライバー養成講座は、観光で訪れるお客さまに、良い乗務員の心温まるおもてなしや観光案内が出来るように、必要な能力を養成するとの趣旨で行われているもの。
今年で五年目で、受講した乗務員は通算で延べ五百人ほどだとか。
では、そもそもコンベンションタクシーとは、なんぞや。
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ムシムシする富山の夏が始まった。
車中での待機となると、じっとしているだけで、ジリジリしてくるようである。
← 石川 忠久【著】『漢詩の魅力』(ちくま学芸文庫)
頭に喝を入れよう、と言う訳じゃないが、実に十年ぶりに漢詩の本に触れてみる。
漢字にも国語にも、そもそも日本語自体にだって、苦手意識を抱いているこの小生だが、漢詩の世界は理解が及ばないくせに、好きである。
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我が家に観葉植物を持ち込んで、ほぼ1ヶ月となる。
最初にモンステラ、翌日にはヤシを入手。
月に二度ある父母の月命日ごとに、仏花と共に玄関の生け花を替えていた。
仏花はともかく、生け花代が結構、必要。
しかも、訪れる人誰一人、感想を云ってくれない。
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情けなくも、今日も草むしり作業に時間(と労力…体力)を費やした。
日記、昨日のをそのまま使えそうな単調な日々。
幸か不幸か、前夜も、家の中に居ても雨音が聞こえてくる、そんな降りよう。
しかも、朝方は残っていたのが、遅めの朝食をとりおえる頃には、日さえ差し始めた。
これじゃ、土壌をシッカリ湿らしておいたぜ、草むしり作業、せいぜいしっかりやれよ、と強く促されているようである。
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今日も草むしり作業に没頭。
このところの日記は、こればかり。
← 数日前の日記「夏は鬱陶しい!」と比べると、雑草除去作業の効果が歴然。
4日間作業して、表の庭の三分の一ほどか。
作業したエリアと、そうでない場所との違いは、はっきり。
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昨日の日記にあるように、木曜日の未明、二冊の文庫本を読み終えた。
探偵小説と、脳科学者のある意味でのドキュメント本、という毛色のまるで違った本。
同じ木曜日の未明から、早速、次の本に触手を伸ばした。
← ハーマン・メルヴィル:著『 タイピー 南海の愛すべき食人種たち』( 中山 善之:訳 柏艪舎)
読み出したのは、 ハーマン・メルヴィル:著『 タイピー 南海の愛すべき食人種たち』( 中山 善之:訳 柏艪舎)である。
初めて読む。
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今日も炎天下、庭の草むしり作業に没頭。
幸い、作業開始時間が早かったこともあり、昨日のようにはフラつくことはなかった。
← ジル・ボルト・テイラー【著】『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』( 竹内 薫【訳】 新潮文庫)
庭の草むしり作業も三日目でようやく、半ばほどか。
前途遼遠の感が強い。
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あるサイトで、我が富山市の市長の過去の発言が取り沙汰されていた。
尖閣や北方領土などにホットな視線が注がれる中、同市長が、日本海のことを「東海」と呼称している、というのだ。
小生、富山に帰郷したのが5年前で、富山のことには(今も!)やや…いや、かなり疎い。
同市長が日本海のことをどういう経緯で「東海」と呼んだのか、分からない。
そもそも同市長がいくらなんでも、我が日本海を「東海」と呼ぶはずがないと、初めて同氏の発言について物議を呼んだことを知った数年前からも、同氏の発言の経緯や真偽を確かめないできた。
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過日より コナン・ドイル/著の『シャーロック・ホームズの帰還』(延原謙/訳 新潮文庫)を読み始めている。
シャーロック・ホームズの大ファンと言うわけではない。
でも、読み始めると、流石に面白い。
← コナン・ドイル/著の『シャーロック・ホームズの帰還』(延原謙/訳 新潮文庫)
言うまでもなく。シャーロック・ホームズとワトソンとのコンビである。
シャーロック・ホームズにとってワトソン君は相棒なのかどうか分からない(ホームズがワトソン君を相棒と思っているのか、それとも都合のいい使いっ走り程度の認識なのか…)。
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G・ガルシア=マルケス/著の『生きて、語り伝える』(旦敬 介/訳 新潮社)を今朝未明、読了。敢えて購入しての、再読である。堪能。
今日からは、 コナン・ドイル/著の『シャーロック・ホームズの帰還』(延原謙/訳 新潮文庫)を読み始める。
たまには、娯楽性のあるものもいいよね。
← ヒマワリ。この数年、ヒマワリを育てている。今年は、昨年末、枯れ果てたヒマワリを、畑の隅、用水路際の花壇に放置しておいた。すると、こんな風に見事に育ってくれた。昨年は近所でも育てていたが、今年は、近在では我が家だけ。淋しいような、誇らしいような。
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今年もアガパンサスの花が咲き始めた。
清楚と言うべきか、やや地味な雰囲気の漂う花。
実際、咲くまでは、ただ葉っぱが無闇に伸びているだけで、知らないと、うっかり小さな葉っぱのうちに摘み取ってしまいかねない。
「別名は「ムラサキクンシラン」ですが、実際のクンシランとは何のつながりも ない」とか。
(中略)
「Agapanthus(アガパンサ ス)はギリシャ語の「agapa(愛らしい)+ anthos(花)」の組み合わせことば」で、「明治 時代中期に渡来」という(「季節の花 300 アガパンサス」)。
大学は哲学科を志望したこともあり、哲学史の入門書なども 読み齧った。 その中で、エロスとアガペーという愛の二種類の言葉(観念)を知った。
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(前略)
水を呉れだと。水はたっぷり注いでやったじゃないか。何も涙の川と洒落てい るわけじゃない。地上世界を殲滅した光は、大地の水を干上がらせ、天へと巻き 上げた。 あの黒い雲が見えないのか。今にも洩れ零れそうなほど、今にも溢れそうなほ ど、水を満々と湛えているじゃないか。 あれこそが、水の塊だ。渇望の的だ。さんざん今まで湯水の如く垂れ流してお きながら、この期に及んで何を我が儘を吐くのだい。
湯水の如く愛情を撒き散らしてきたじゃないか。愛情を降り注ぎあう 機会は、嫌って言うほど与えてやってきたじゃないか。なのに、今頃になって。
魂が剥き出しだ。赤子の魂だ。赤裸の肉の心だ。裸の肉となった心どもが地上 世界をうろつき回っている。六道の闇夜の川を渡ろうとしている。火の川だとい うのに。水を求めて。
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大栗 博司【著】の『 重力とは何か―アインシュタインから超弦理論へ、宇 宙の謎に迫る』( 幻冬舎新書)を土曜日、読了。
感想文モドキは既に書いているが、その時点では、読んでいる最中だった。
若干、食い足りないなんて、生意気なことも。
← 大栗 博司【著】 『 重力とは何か―アインシュタインから超弦理論へ、宇 宙の謎に迫る』( 幻冬舎新書)
小生にとっての驚きの叙述は、むしろ、本書の後半にあった。
半ばまでは、宇宙論、重力論関連の本を読みあさってきた小生には、事実、復習、おさらいの感があったのも事実。
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4日、仕事で車を駆りながら、ずっとビッグニュースの発表を待っていた。
そう、上野動物園のパンダ、待望の出産という朗報…じゃなくて(たまたま昨日は、仕事でファミリーパークへ行ってきたけれど)、ヒッグス粒子、発見というニュースである。
← ATLAS検出器 (説明は、「 「ヒッグス粒子」観測を可能にした実験装置「LHC」:ギャラリー « WIRED.jp」にて。画像は、「 A disk for the ATLAS SCT endcap in its testbox at NIKHEF - CERN Document Server」より)
一般向けのニュース報道によると、「 あらゆる物質に質量を与えたと 考えられる仮説上の素粒子「ヒッ グス粒子」を探しているジュネー ブの欧州合同原子核研究所(CE RN=セルン)は4日、大型粒子 加速器「LHC」による実験で、 ヒッグス粒子とみられる新たな素 粒子を見つけたと発表した。ヒッ グス粒子は、万物に含まれる素粒 子の基本理論として1960年代 に提唱された「標準理論」で存在 が予言された18種の素粒子のうち、唯一未発見だ」ったもの。
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三回忌の準備作業で、オフの日は多忙である。
肝心の仕事のほうは暇だが…
過日、お客さんとの雑談の中で、走ること、についての話題に花が咲いた。
お客さんは短距離、小生は短距離も好きだけど、長距離のほうが好きという違いはあったけど。
せっかくなので、数年前書いた、関連しないでもない雑文を載せておく。
(以下、「 帰省日記拾遺(2)」より)
(前略)歩きであればポツポツという小降りの雨でも、百キロ以上での走行では雨粒がバイクのヘルメットのシールド(風防)をも、叩き着けるような状態にな る。
バイクを駆っていると、低速だとエンジン音が大きかっ たりするが、高速走行だと、音は風を切る音だけになる。 それが、雨のツーリングとなると、風防にぶち当たって砕 け散る雨の音が耳に感じられるだけになる。
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ほとんど題名だけに惹かれて衝動買いした本。
〈乙女〉なんて言葉は、多分、死語ではなかろうか。
ましてそう呼称される存在は!
← フランシス・ジャム作『 三人の乙女たち』(手塚伸一訳 岩波文庫)
もしかすると、少女なる呼称すら死語に近い?
さすがに少年少女なる言葉は生きているだろう…
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7月1日の読売新聞朝刊の読書(文化)欄で、 杉浦千里という博物画家(細密画家)の存在を知った。
というより、同氏の博物画は、折々目にしていたが、惜しくも2001年に三十九歳という若さで亡くなっていたことを知ったのである。
← 『 杉浦千里博物画図鑑 美しきエビとカニの世界 Natural History Illustrations of Chisato Sugiura 』( 杉浦千里 画 / 朝倉 彰 解説 成山堂書店 発行 ) (画像などは、「杉浦千里の作品保存会 編集 杉浦千里の作品保存会」より)
この度、 『 杉浦千里博物画図鑑 美しきエビとカニの世界 Natural History Illustrations of Chisato Sugiura 』( 杉浦千里 画 / 朝倉 彰 解説 成山堂書店 発行 )が刊行されることになった。
新聞には、カキ養殖業の畠山重篤氏による、熱のこもった書評が載っていた。
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今月は、父母が亡くなって二年目となる月。
早くも三回忌を間近に迎える。
あれこれ思うこと、感じることが…
早くも、だが、わずか二年の間にも、いろんなことがあった。
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