仏花には生花?
生け花は好きじゃない。
いかに美しく仕立てられてはいようとも。
だから、敢えて観葉植物を二種類までも入手した。
← 画像は以下、このホタルブクロなど、いずれも小生が世話していないのに、勝手に(?)我が家の庭に育ってくれている、植物群像。
かく云いながら、一方では、仏花としては、生け花じゃないけれど、菊などを過去の通例通り、買ってきたし、仏壇に供えた……
矛盾している?
実は、仏花は月に二度も変えるのは面倒だし、造花の仏花を手向けようか、などとも考えた。
神棚への榊も、せいぜい月に一度だし、我が家の庭に榊の木が二本か三本、生えているから、購入する必要もない……だけど、人工の榊を入手し、供えようか、などと考えている。
カタログショッピングで(効果は分からないが)、光触媒処理された、人工の仏花や榊を見てしまって、迷っているわけである。
→ 蔵の脇の細長い花壇に、鈴蘭とドクダミ(こちらは、発見し次第、即座にむしり取っている)の群生との間に今年、突然育ってきた謎の植物。こんな厳しい環境下に割り込んで育つとは、逞しい限りだ。
榊については迷っているが、仏花のほうは、店で生の花を買うか、近いうちに自宅の庭で、仏壇に供えられるような花を育てようと決めた。
つまり、生け花は嫌いだ、などと昨日の日記に書きながらも、仏花は生の花、生け花を供えよう、というわけである。
← 萩の木? 秋のイメージがあるのだが…
これは、自分の中では考え方が整理されていないのだが、仏花だからこそ、庭や路傍に咲く花を摘み取って、あるいは断ち切って、それとも店屋物でもいいのだが、とにかく 生け花、生の花を供えるのが相応しいような気がするのだ。
→ 南天の木にも一斉に花(?)が咲きつつある。
仏壇にまつられているのは、親(の遺影)であり、魂なのである。
この世にいる子供らとの心の繋がりはともかくとして、肉体の命は断ち切られている。
だからこそ、供えるのは、半ば生きているが、大地(や土)からは断ち切られた生花であるべき、と考えるわけである。
← 裏の納屋の脇には南天や竹、ツゲ、木瓜などが密生している。その藪の中に隠れるようにして咲いていた。何を好んで、こんな窮屈なところで開花するのか。
まあいずれにしても、人間の…小生の勝手な理屈に過ぎない。
植物はとにかく生きる。
たとえ、大地との絆が断ち切られても、遠くない将来の死を定められているとしても、生体を織り成す数知れない細胞たちの最後の一個が死に絶えるまで、生きているかのように末期を全うするだけのことなのだろう。
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コメント
うちの寺は7/11に施餓鬼があります。
今は変わったもので、三時間のうち一時間はコンサートみたいのをやります。
oki家の親族で参加するのがほとんどいないので、参加したいのですが、ここのところの体調不良で当日までわからないです。
うちは、墓参りして、お寺で売っているお花を買うことぐらいしかしません。弥一さんさすがいろいろ考えが深い。
投稿: oki | 2012/07/01 00:57
okiさん
三回忌が間近ということで、バタバタしてます。
ただ、折角なので、愚痴代わりに、瑣末なことを考えて無聊をかこっています。
施餓鬼、ウチの寺はしないのか。
あまり地元のことに関わらないので分からない。
小生、喪主でしたし、本家に当たるので、プレッシャーがきついのです。
投稿: やいっち | 2012/07/01 21:34
僕も喪主ですよ。
前も書いたように、うちの寺はoki家の先祖が村長で寺を作り上げたようなものですが、代替わりして、女は嫁にいっちゃうし、僕とあともう一人が頑張ってoki家の墓を守っているのです。
今は寺の総代とかは、糟谷家がみな握ってましてね。
ところで施餓鬼の案内って郵便で送られてきませんか?
話変わるけど、とうとう原発再稼働、一度再稼働すれば、なし崩し的に他の原発もって目に見えている。
宗教界も反対しているようですね。
投稿: oki | 2012/07/01 22:12
okiさん
そう、okiさんこそ、喪主でしたね。
我が家とは格が違う。
人の付き合い。一つ世代が違うだけで随分と変わってしまう。
過日、父の交流を物語る書面を眺めてました。
親戚関係も、篆刻や俳句、鉄道、町内会、実に交流が広かったんだと感心しました。
その大半、というよりほぼ全てと、小生は縁が切れてしまった。
原発といい、消費税といい、財務省を中心とする官僚の主導する路線は強固ですね。
野田政権も早々と取り込まれてしまった。
まるで洗脳されてしまったみたい。
野田氏が首相になってから、消費税の虜になってしまったよう。
自民党に代わるはずの民主党も、政権を取って僅か三年たらずで、骨抜きにされてしまったみたい。
読売を中心とするマスコミも原子力村の旗振り役を果たすばかり。
自民党以来の旧体制は、これほどに強固であり、牢固なわけです。
あの危険なオスプレイをアメリカ軍の言いなりになって、受け入れることに汲々とする、野田氏や防衛相の無様さは、見苦しいばかり。
小沢氏が、あるいは橋下氏らがどんな展望や理念を持っているのか、よく分からないけど、自民党にも民主党にも、望みが絶えてしまったからには、次の世代の政治家に期待するしかないのかもしれない。
日本が変わるには、昨年の大震災だけではまだまだ足りない、懲りないようです。
あれくらいでは、牢固たる官僚機構は屁でもないのでしょう。
やはり、本当に戦災に見舞われないと、日本の市民もめざめないし、立ち上がろうとしない。
まだ、誰か立派な政治家や指導者が現れるだろうと、口を開けて、ただただ待ち受けている。
国民性と云ってしまえばそれまでですが、大震災の際の、海外の人々が驚く市民の行儀の良さは、あるいは、海外の人々は日本人をバカにしていたのかもしれない。
もっと政治を役人を体制を怒るべきだったのに、大人しく愚痴をこぼすだけ。
下手すると、とんでもないリーダーの出現で、とてつもない悪夢を日本は見ることになるのかもしれない。
投稿: やいっち | 2012/07/03 02:05