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2012/06/05

『中世の秋』メメント・モリ あるいは摩天楼

 メメント・モリという言葉は有名なので、敢えて説明するまでもないだろう。 「memento mori」というラテン語の言葉が原語である。一般には、「死を想え」 とか「死を忘れるな」と 訳されている。でも、もう、「メメント・モリ」という 言葉そのものの形で広まっているので はないか。

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 小生が初めてこの言葉を知ったのは、オランダの歴史家ホイジンガの『ホモ・ ルーデンス』 を読んだ時か、それとも『中世の秋』を読んだ時だったか(『中世 の秋』は掘越孝一訳で、箱 入りのハードカバーの本で、世界の名著シリーズとし て公刊されたものだ。懐かしいな)。
 い ずれにしても学生時代のことで、四半世 紀の昔のことだ。その頃、この言葉をどれほど切実感 を以って読んだか…、むし ろ、何か死をロマンチックにさえ捉えていたのではないか…、そんな 気さえして 何となくむず痒い。

 正月明けであり、まだ年頭だというのにこんな無粋な言葉を採り上げるのは、 特に昨年以来 の読書傾向と無縁ではないようだ。労咳(結核)で死んだ中島敦の 諸著を改めて読み、吉野秀 雄の『良寛』を読み(良寛ではなく、吉野秀雄が結核 で死んだのだ)、年末からは、トーマ ス・マンの『魔の山』を読み始めている。
 マンの本は、今月中に読み終えられるか覚束ない。しかし、本書も学生時代に 読んだのに、 ただ意地で読んだという記憶しかないのに、今、ようやく半分ほど を読んで、実に面白く読め ている。
 何故だろう。
 ささやかながらでも読書体験、 人生体験を重ねたということがあるの か。自分なりに文章を虚構作品から、エッ セイ、コラムなどと書き綴った苦労の積み重ねがあ るからなのか。哲学に関して も今に至るも、齧る程度には触れつづけているからか。とにか く、昔、面白くな かったというのが不思議なくらいに、何か身につまされるようにして読んで いる (『魔の山』の読書感想については、読了後に気が向いたら書いてみたい)。
 正月には、この数年マイブームとなっている島崎藤村の『春』を読んだ。藤村 の初めての自 伝風小説ということになっているらしい。この小説の中には、藤村 の若き日の友人であり、強 い文学的・人間的薫陶を受けた北村透谷が、重要な人 物として登場している。 自伝なのだから、自分の周辺のことを(藤村が教師をしていた学校の女子生徒 との恋愛事件 がメインである)書くのは当然のこととして、むしろ、読んでみて 感じるのは、その恋愛に絡 む辛い体験もそうだが、ある意味でそれ以上の比重を 以って透谷の生と死が描かれていること だ。
 天才・北村透谷! あまりに若い死である。

 透谷もまた、結核で苦しみ、死と背中合わせに生き、愛する妻を傍に、将来! を悲観して縊 死して死んだのである。非業の死と言うしかない。 小生は、既に結核やサナトリウムに関連する小文を幾つか綴っている(何故、 こうした方面 に関心が向くのか自分なりに分析もするが、そのことはあまりに個 人的になるのでやめてお く)。

 その自分は、田舎に帰るたびに、メメント・モリ を意識する。東京では、ほとんど浮き 草暮らしなので、何処か生活の現実感が失 われがちなる。
 だが、田舎では、父母の話から葬式とか結婚・出産とか、病気の話が日常的に 交わされる。 毎月のように知り合いの誰彼の通夜だ葬式だ、脳溢血で病院に担ぎ 込まれた、命は取り留めた けれど寝たきりの生活になった…といった類いの話が 出てくるのである。
 父母も老いているし病を抱えているし、かくなる自分も、ちょっと危うい。 冒頭付近で紹介したホイジンガの『中世の秋』の中に、以下のような印象的な 言葉がある:

ベッドに横になるとき、想うがよい、 いまこうしてベッドに横たわっているように、 じきにこのからだは他人の手で、 墓のなかに横たえられることになるのだと

 生きているとは不思議なことだ。実に不思議なことだと思う。自分を構成する 物質たち、細 胞たちは、ことによったら、どこかの土か植物か、海の生物の餌か、 あるいは他の動物の細胞 どもであってもよかったのに、何故かこんな自分の体の 一部として健気に生き働いている。

 60 兆もの細胞!
 生きているとは、不思議だし、懐かしいことなのだ。抹香臭い表現を使えば、 ありがたきこ となのである。命があるということ自体が、摩訶不思議と言わずし て何だろう。
 昔、マンの『魔の山』を読んだ時、主人公であるハンス・カストルプが友人を 訪ねる形で、 ほんの数週間の予定のつもりで訪れたサナトリウムは、まさに別世 界であり、魔の山という特 殊な、ありうべからざる世界の話だと思っていた(多 分、読書の印象があまりに薄い)。
 が、そうではないのであって、要するにこの世は実は魔の山でありサナトリウ ムであり、死 と物質とのっぺらぼうの時空、誰かが永遠の沈黙と呼んだ世界の中 の、極めて限られた一角に 僥倖としか思えない形でかろうじて存立している命の 煌きの世界なのである。
 命の煌き、不可思議な命の揺らぎは、せいぜいお世辞に言ってダイヤ モンド、実際 のところはビーズ玉かガラス玉の光沢程度の輝きしかない物質の世 界にいつ戻るか誰にも分からな い。我々の体が60兆の細胞たちの懸命の生きようとす る活動の賜物であり、共生の結果なのだ としたら、その我々の体を支える大地は、 それ以上に膨大な量の土と砂とバクテリアと水と光 との混合体であり、しかもそ の大地さえ、永遠の孤独と沈黙の世界である宇宙に浮かび漂って いるのだ。
 東京という都会に暮らしていると、特にこの頃は摩天楼(なんて懐かしい言葉) の林立に驚 かされる。周囲に昔ながらの住宅やマンションや古いビルが群生する 中、ニョキニョキと背の 高い超高層ビルが屹立している。
 まるで郊外の商店街や 住宅街の精気を吸い取って、一人悦に 入っているかのようだ。 ミラー風のガラス窓に覆われて、中から外は伺えるが、外からの眼差しは跳ね 返す。ビルを 設計した人間の心のありようが如実に現れている。エゴの塊、自分 達さえよければ、周りの不 幸はただただ冷徹に、冷ややかに見下ろすだけ。
 死も 病も肉体も老いも人生さえも、絵空事な のだ。今を享楽できればそれでいい。
 なるほど、これもまた一つの人生観だ。どうせ死ぬなら、どうせ死ぬのだから、 せめて生き ている今を享楽して何が悪い。この達観した(かのような)エゴイズ ム。
「メメント・モリ」 の対極を都心は表現しているのだ。

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 そんな新しい雲の上の磨きたてられた摩天楼の街を歩くには、歩く人間だって 洗練されドレ スアップされ病気とは無縁で(無縁の振りをして)颯爽と前向きに 生きていないとならない。 床には塵一つ落ちていてはならず、煙草は何処か限ら れた一角で肩身の狭い思いをしながら吸 わねばならず、疲れたような生活感は漂 わせてはならない。
 あるのは健康と生活と薄っぺらな未来とビデオの中の過去。つまり、現在がな いのだ。今を 充実させるわけにはいかないのだ。今をリアルに見つめることだけ はご法度なのである。自分 を支える肉体の中の現実を直視するなど、繕いきれな くなった心の解れを想うことなど、無粋 なのである。
 しかし、それにしても、やはり、生きているとは懐かしいこと、ありがたきこ と、不思議な こと、なのではないのか。やがては自分も墓の中か、それとも土に なるのか、灰になって風に 舞うことになるのか、行く末は分かりきっている。
 それだからこそ、肉体を労わるのだし、心を癒すのだし、友を想うの だし、水の不 思議を想うのだし、宇宙を想うのだ。
 とにもかくにも、何が不思議って、なにもないと呟きつつも、しかし、現に何 かがあるとい うそのことが不思議だ。我、想う、故に、我、在り、と昔、誰かが 喝破したとか。 でも、小生のような愚か者は、まず、我が身があることを不思議に思う。身、 肉体があるか ら心が揺らぐ、迷う、惑う、そしてメメント・モリするのだ。


(「 『中世の秋』 それともメメント・モリ」 (03/01/09)より)

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コメント

死が近くにある光景、それは僕は特別養護老人ホームで体験しました。
うちの母が逝く前になんと大勢の人があの世に旅立ったことか。
死が身近にある場所、病院とかを除けば特別養護老人ホームは都会のなかでその1つです。
老人になると子どもに帰るのか?
それは僕の体験だと正しくない。
それまでの生きざまが年老いて現れてくるようにおもう。
それはともかく、富山って、ノーベル賞道路みたいなのがあるそうで。
不老不死を実現させるノーベル賞学者が出てこないかな。

投稿: oki | 2012/06/05 22:27

okiさん

富山に帰郷して早くも四年と三カ月以上、過ぎました。
父母の関係でデイサービスや病院に通い続けたし、タクシー業界に関わってからも、少なくとも日中は、病院やデイサービス利用者の多いこと。
最初は歩いていた方が、車椅子、やがて、タクシーを利用されることもなくなり…


ノーベル街道は有名なのかな。
タクシーで一回話題になるのは、今までの何が何でも延命至上主義から、幸せな最後をどう迎えるか、です。
寝たきりで、ただ生かされて、密室で一人、孤独な死を迎えるより、家でポックリがいいよねー、とか。

投稿: やいっち | 2012/06/06 12:20

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