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2012/05/10

ツツジの季節に寄せて

 タクシーという仕事柄、車内で可能な小さな愉しみを追い求める。
 駅などで待機している間などは、本や新聞を読むことがあるが、目が疲れない よう、根を詰めて読み浸るということはない。大概が順番待ちなので、少しずつ 移動する必要もある。細切れの、断片的な読み方しかできないのである。

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→ ツツジ! 以下、富山市内某所にて休憩中、街路樹のツツジの花々を撮ったもの。

 自然、 本にしても、軽めの内容のもの、同時に活字の細かくないものを選ぶことにな る。 車内では、お客さんが乗っていない間は、出来る限り音楽を聴こうとする。無 論、ラジオから流れる音楽をひたすら待ち望むのである。

 仕事をしながら 多彩な音楽を堪能できるのは、ささやかならざる余得というものである。 一方、折を見ての車中での読書は、音楽だけでは飽き足りない精神のビタミン 剤のようなものなのか。 が、目や耳が命であるこの仕事、神経をリラックスさせておくのが何よりも大 事で、音楽などを聴きながらぼんやり路上の風景・光景を眺めているのが一番で ある。

 となると、特に信号待ちなどの際、路上を行く人々の有り様をなんとなく眺め るのも楽しい。人物観察という大袈裟なものではない。素敵な女性の姿を追い求 めてみたり、ロールスロイスなどの珍しい車に見入ってみたり、一日のうち、数 回は目にする事故現場で明日は我が身と思ってみたり、遠くの空を流れる雲を眺 めてみたり、つまりは眺めるものも、聴く音楽、読む本と同様、切れ切れの風景 を愛でて気を休めているだけなのである。

 そうした楽しみの一つに、なんといっても街路樹がある。あるいは民家やビル の庭の植木や盆栽の類いに目が行ってしまう。木々の緑、植物の緑と多彩な 花々、そして雑草の数々。 雨の日は雨の日で、晴れの日は光溢れる空の下、多くは人の手になる植物の彩 りに感嘆・驚嘆する。
 冬の終わり、春の到来を告げる梅の花に始まり、待望して いた桜の芽吹き、開花、一気の落花…。すると、桜の季節の終わりを待っていた かのように、ツツジの季節の襲来である。
 いつの頃からか、都内では(都内に限らないと思うが)路上の街路樹、緑、花 というと、四月の終わり頃からツツジ(サツキもある?)全盛の光景に恵まれる ようになった。
 それとも、結構、以前からそうした環境があったのだけれど、自分が気付き始 めたのがこの数年に過ぎ ないということなのだろうか。

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 街路樹、特にツツジの見事さには圧倒される。車の排気ガス に強いとか、虫が付きにくいとか、育ってもあまり巨大にはならないとか、さま ざまな観点からツツジが選ばれているようである。 とにかく丈夫であり、且つ、育ちすぎないというのが選ばれる大きな要素のよ うだ。
 尤も、育ってもあまり大きくならないというのは、実際にはよく分からない。
 それこそ植え込まれてそんなに年月が経っていないのであって、もしかしたら 年々大きくなるのであり、毎年、剪定などされるから、数年先、あるいは数十年 先の様子は、知識のない者には想像の限りではない。 テレビやラジオの情報では、ツツジでも、樹齢が数百年を越え、中には十メー トルほどの高さに育っているものがあるというし。

 それにしても、東京の都心という厳しい環境にあって、よくめげることなく 木々や花々が育つものだと、無知な自分はひたすらに感心する。というより、圧 倒されたりすることもある。
 太陽の光が燦燦と降り注ぐ。その中、緑は濃くなり、幹や茎は伸びあるいは太 り、花は思い思いの装いを凝らす。
 見て愛でているほうは、ただ陽光をタップリ浴びて、植物は気持ちよさそうな どと思っているだけだが、しかし、よく見ると、日差しは情容赦なく木や花に突 き刺さっている。逃げもせず、よくも植物は耐えているものと思ったりする。

 そんなツツジなども、五月も半ば頃となると、さすがに日の光を浴びすぎたの か、淡い紫というか目に鮮やかなピンク色の花も元気を失いかけている。中には 茶褐色に変色し、明らかに萎れてしまっているものも見受けられる。
 太陽の光を浴びるという恩恵なしでは、直接か間接かはいろいろあっても、生 きものは生きられない。それはそうなのだけれど、しかし、ジリジリと照り付け る直射日光の強烈な日差しは凄まじいものがある。
 なのに、花が長く咲きつづ け、緑はますます濃くなっていくのは、一体、どうしたものなのだろう。

 訳の分からない直感というか思い込みの中で、緑が溢れる光の中でその色を濃 くするのは分かるような気がするが、花がその彩りを鮮やかに保てるというの は、不思議な気がしたりする。
 花が可憐だというのは、事情を知らない者の勝手な思い入れに過ぎないのか。 弱き者よ、汝の名は女なりと思っていたら、案外どころか、とんでもなく逞し かったりするように、華奢そうな花びらの、その実、光に貪欲な本性が、見かけ のたおやかさやしなやかさ、触れなば落ちんという風情の陰に潜んでいるという ことなのか。

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 人間や動物等は、全身が毛に蔽われているか衣服に守られているか、そうでな くとも、耐えがたければ、日陰を求めて移動することもできる。
 が、植物は、ましてグリーンベルトとして使われている街路樹となると、とこ とん、太陽からの放射線をまともに浴びつづける。ともすると浴びすぎると致命 的ともなりかねない紫外線が植物の身体を貫き通していく。身体を成す無数の細 胞が光の洪水、過剰なまでの放射線の照射に悲鳴を上げているのではないかと思 われたりする。
 なんとなく、見ている自分には、生身の身体がジリジリチリチリと焦げだすの ではと思われてならなくなったりする。

 言うまでもなく、そんな勝手な心配など、まるで見当違いである。そんなこと は分かっている。光との戦いの中で生まれ育ち生き抜いてきた植物なのだ。動物 等よりはるかに殺気立ったほどの光の粒子の浸透・照射という環境に適合して生 きているのだろう。
 我々の目を癒し慰め息わせてくれる緑。滴るような緑の、なんという豊かさ。 光が満ち溢れてくれば、一層、緑は濃くなり深くなり、葉っぱの肉は分厚くな り、ひたすらに数十億年来の進化の過程で獲得した生きる知恵を発揮し発散し、 この世を緑の知恵で満ち溢れさせる。
 理屈の上では植物の緑というのは、つまりは、光の反射に過ぎない。葉っぱが 反射する光の波長が我々には緑に見えるというだけのことである。逆に言うと、 緑色以外の短い、あるいは長い波長の光は植物の中の光合成する色素に吸収され るということである。

 そう、植物は、光を食べて生きているのだ。貪欲に光を貪っているのである。 緑が濃ければ濃いほどに、緑色以外の光を逃すことなく、安易に反射することな く、大地に洩れ零すことなく飲み尽くし食べ尽くしているわけである。 光合成というのは、「光エネルギーを化学エネルギーに変換するしくみで、地 球上の生命活動のほとんどは、光合成によって産み出されたエネルギーに依存し て」いる。
「光合成のしくみは、海に生息する藻類で進化し」たという。
 我々にとって馴染みの緑。植物というと、花びらはともかく、葉っぱは緑であ る。「進化的には、陸上植物の起原は、浅い場所に生育していた緑藻類と考えら れ、緑藻類は陸上植物と同様な光合成色素を持ってい」るという。 つまり、「葉っぱが緑なのは、緑藻の時代に獲得した遺産を引き継いでいるか らともいえ」るのである。
(中略)
 光合成の仕組みについても、奥が深く、ここでは軽く触れるだけに留め ておきたい。 光合成によって植物は生きている、光を食べて栄養やエネルギーを獲得してい るというのは、理屈では分かるが、では、さて、花びらは、どうして強烈な光に 耐えられるのかは、実感的にはやはり分からないままである…。

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← 父の月命日を契機に、仏壇の仏花そして玄関の花も模様替え。五月らしく!

 植物は、惜しみなく無償の愛を、恵みを、癒しをわれわれに与えている ように見えるけれど、また、そうして緑の葉は萎れていき、花びらは凋んでいく けれど、まさに、我が子に無限の愛情を注いで、やがて窶れていく母のようだけ れど、そうした我々の思い入れとは別に、彼らも懸命にしたたかに生き延びてい こうとしているということだけは分かるような気もするけれど。
 理屈はそうなのである。
 いずれにしても、数十億年の営みの果ての生命の獲得した知恵の深さを思うべ きなのかもしれない。 それはそうなのだけれど、いざ、路上で隠れる場所などなく、眩しすぎるから といって、日差しを遮る術もなく、ひたすらに日の光を浴びつづけるツツジの花 を間近で見ていると、ただただ感嘆・驚嘆するのである。
 そのツツジの花の季節も、そろそろ終わりが近づいている。長く楽しませてく れてありがとう、と言いたい。ではさて、ツツジの季節が終わったら、これから はどんな花や植物が我々を迎えてくれるのか、楽しみは尽きない。


(本稿は、「 ツツジの季節が終わる(04/05/15)」からの抜粋です。)

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コメント

やいっちさん

こんばんは。

以前に撮影されたものでしょうか。
ツツジの画像に見惚れてしまいます。
特に白色はあまり見掛け無い様な・・
何だか得した気分に(笑)
今年もボツボツと
開花を見掛ける季節になりました。
あわせて同じ時期に楽しめる?
街路樹のハナミズキも楽しみです。

桜の木に目を向けると
すでに青々とした姿に変貌していました。
ひとり、新緑のお散歩も楽しみです。


投稿: のえるん | 2012/05/10 21:47

のえるんさん

これらのツツジ画像は、この記事を作成した前日に撮ったものです。
白い色のツツジ、結構、あります。我が家にも赤紫色に加え白色のツツジ、何本もありますよ。

ハナミズキ…そういえば、撮影してなかったですね。
何とか撮りたい!

桜の季節は終わりましたが、今の時期の緑は生命力に溢れていて、緑陰の散歩、楽しそうです。

投稿: やいっち | 2012/05/12 21:15

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