連休は畑とマルケスと(後編)
ガブリエル ガルシア=マルケスの世界の何処がそんなに小生を魅するのか。
それは、初めて 『 百年の孤独』を読んで跳ね返されたのとほとんど接するところにある。
幾つかの心身に刻み込まれた鮮烈な場面、その光景を描き尽くすため、ありとあらゆる手法、文体を駆使する。
映画に魅せられ、オーソン・ウェルズの、画面の背景の一切をゆるがせにしないカメラワークをも取り込むマルケス。場面に映し出されるどんな細部にもそこには宇宙がある…。
← ガブリエル ガルシア=マルケス (著) 『 百年の孤独 』(鼓 直 (翻訳) 新潮社)
そんな表現の上での貪欲さ、なるがゆえの、取っ付きにくいかのような小説の迷宮。
密林の鬱蒼たる闇、濁った大河に溺れ沈み込んでいくかのような生。
それぞれが掛け替えのない個でありながら、宇宙から、あるいは密林の闇の奥から見れば、蟻の長々続く群の一匹でしかない生(逆も同等!)
人間の個々の意思や欲望、野心、衝動、本能、血、汗、愛液、骨、脂、そういった一切が切実でありながら、熱帯の熱風と砂漠の乾燥とアマゾンの奔流とに、溶かされ削られ、抉られ、形を奪われていく。
→ 水仙の季節が終わり、チューリップの季節も終焉に近い。すると、前後して紫露草がポツポツと。木曜日の雨を待っていたかのように!
作品に何が描かれている、というより、マルケスの世界が魔的なのである。
これまでいろいろ読んできて、その極が『 百年の孤独』なのだと、改めて実感させられている。
ガルシア=マルケスをしても、これ以上の世界は描けないということか。
| 固定リンク
「写真日記」カテゴリの記事
- 宇宙物理学からいつしか人生論に(2025.03.26)
- バロウ『無限の話』三昧のはずが(2025.03.25)
- 第三の鮮度保持技術「ZEROCO」に刮目(2025.03.24)
- 終日家に籠っていた(2025.03.21)
- 焚き火代わりの柴ストーブ(2025.03.20)
コメント
知らんうちに連休も終わりますね。
連休最後は竜巻とか、自然は怖い。
弥一さん、ずっと前から、百年の孤独、に言及されてますね。
よほど惹かれるものがあるんでしょうね。
さて明日はCDを売って、おカネ作ろう、って別にゴールデンウィークに浪費した訳じゃないですがー
投稿: oki | 2012/05/06 21:34
okiさん
連休、あっという間でしたね。
小生、フリーターと失業時代を除いて、初めて連休をずっと休みました。
畑仕事ばかりでしたが。
連休はバスの事故に始まり、竜巻で終わったという感が強い。
『百年の孤独』は、日記にも書いたように、メルヴィルの『白鯨』やジョージ・エリオットの『ロモラ』などに匹敵する傑作です。
マルケスの自身の作でも、これが最高傑作でしょう。
そうそう、村上春樹のI989が文庫化されつつありますね。
全巻、発行されたら、読もうかな。
okiさん、読まれました?
CD、売るほど買われてきたんですね。
半額? 小生にも何か売るもの、ないものか?!
投稿: やいっち | 2012/05/06 22:08