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2012/05/05

連休は畑とマルケスと(後編)

 ガルシア=マルケス作品は、図書館で借りて二度、昨年、敢えて購入して三度めのトライをした 『 百年の孤独 』を始め、『 族長の秋 他6篇 』、『 コレラの時代の愛』、『 わが悲しき娼婦たちの思い出』、そして今朝未明読了した 『悪い時 他9篇』と、これでガルシア=マルケス全小説のうちの五冊を読んだことになる。

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→ ショウブ(それともジャーマンアイリス)も雨を待望していたかのように、木曜、金曜とで一気に開花した。

 ほかに、自伝というべき『 生きて、語り伝える』読んだ。
生きて、語り伝える』は、『 愛その他の悪霊について』と併せ、昨日入手したので、年内には再読を楽しむつもりでいる。

 ガブリエル ガルシア=マルケスの世界の何処がそんなに小生を魅するのか。
 それは、初めて 『 百年の孤独』を読んで跳ね返されたのとほとんど接するところにある。
 幾つかの心身に刻み込まれた鮮烈な場面、その光景を描き尽くすため、ありとあらゆる手法、文体を駆使する。

 映画に魅せられ、オーソン・ウェルズの、画面の背景の一切をゆるがせにしないカメラワークをも取り込むマルケス。場面に映し出されるどんな細部にもそこには宇宙がある…。

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← ガブリエル ガルシア=マルケス (著) 『 百年の孤独 』(鼓 直 (翻訳) 新潮社)

 そんな表現の上での貪欲さ、なるがゆえの、取っ付きにくいかのような小説の迷宮。
 密林の鬱蒼たる闇、濁った大河に溺れ沈み込んでいくかのような生。
 それぞれが掛け替えのない個でありながら、宇宙から、あるいは密林の闇の奥から見れば、蟻の長々続く群の一匹でしかない生(逆も同等!)

 人間の個々の意思や欲望、野心、衝動、本能、血、汗、愛液、骨、脂、そういった一切が切実でありながら、熱帯の熱風と砂漠の乾燥とアマゾンの奔流とに、溶かされ削られ、抉られ、形を奪われていく。

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→ 水仙の季節が終わり、チューリップの季節も終焉に近い。すると、前後して紫露草がポツポツと。木曜日の雨を待っていたかのように!

 作品に何が描かれている、というより、マルケスの世界が魔的なのである。
 これまでいろいろ読んできて、その極が『 百年の孤独』なのだと、改めて実感させられている。
 ガルシア=マルケスをしても、これ以上の世界は描けないということか。

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コメント

知らんうちに連休も終わりますね。
連休最後は竜巻とか、自然は怖い。
弥一さん、ずっと前から、百年の孤独、に言及されてますね。
よほど惹かれるものがあるんでしょうね。
さて明日はCDを売って、おカネ作ろう、って別にゴールデンウィークに浪費した訳じゃないですがー

投稿: oki | 2012/05/06 21:34

okiさん

連休、あっという間でしたね。
小生、フリーターと失業時代を除いて、初めて連休をずっと休みました。
畑仕事ばかりでしたが。

連休はバスの事故に始まり、竜巻で終わったという感が強い。

『百年の孤独』は、日記にも書いたように、メルヴィルの『白鯨』やジョージ・エリオットの『ロモラ』などに匹敵する傑作です。
マルケスの自身の作でも、これが最高傑作でしょう。

そうそう、村上春樹のI989が文庫化されつつありますね。
全巻、発行されたら、読もうかな。
okiさん、読まれました?

CD、売るほど買われてきたんですね。
半額? 小生にも何か売るもの、ないものか?!

投稿: やいっち | 2012/05/06 22:08

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