轢き逃げ ! ?
五年前の今頃のことである。
早朝、最後のお客さんを降ろして、会社へ一路、車を走らせていた。
いつもなら朝の6時を回ると最後のお客さんを意識するが、昨日は営業的には暇 で、5時40分近くに仕事を切り上げた。
→ 事件(?)の数日後、早朝、雨の中の帰宅の途上、自転車 を止め、この事件があった場所を撮ってみた。バ ス通りの坂の下から画像の奥の方に見えるはずの バス停付近を撮ったのだが、さて。
まあ、こんな日もある、無事故・無違反が何よりと(といった慰め方としては 最低限の仕方で)自分を納得させ、帰庫の道を、それでも、回送にはせず、ある いはお客さんが付くかもと淡い期待を抱きつつ走らせていたのだった。
それは、とある片側一車線の対面交通となって いる、その地域では幹線でもある、バス路線での こと。
長い緩やかな坂は、同時に緩やかなカーブに なっている。坂を上りきりしばらく直線に近い道 になり、視界が開けた…、と思ったら、遠くのほ う、小生とは対面する車線側のバス停付近の路上 に、なんと、人が倒れているではないか。
猫の死骸ってのは、珍しくないのだが、明らかに人。男性。反対車線を斜めに 塞ぐように倒れているのだ。
何があったのか? 酔っ払いが路上に寝込んでいるという風ではない。 まさか、轢き逃げ? それとも、当て逃げ? 少し動いている…ような。
← 母の月命日。今では恒例(?)となったが、玄関の花と仏花を生け直す。
小生はタクシーをそのバス停より十メートルくらい行き過ぎた、こちら側の路 肩に寄せて止め、降りて、その方のほうへ走り寄って行った。
十メートルほど車を先に進ませたのは、その昏倒している人の真向かいに車を 止めると、その時間では通行する車も少ないとはいえ、交通を遮断する恐れがあ るし、なんたって、早朝は車が少ないから、 一般車の人たちは飛ばす!
長い上り坂の終わった地点、緩やかな がらカーブとなっていて、坂の下からは バス停も何も見えない。 車が突っ込んできても、楽に抜ける ルートは確保しておく必要がある。
近寄ってよく見ると、その方は、年齢は七十歳をとっくに越えているようなご 老人。
小生の接近を見て、うつぶせのその男の人は、顔を少し上げて小生のほうを見 る。 顔が上気している(ように見える)のは、少しはにかんでいる? それとも うつぶせの状態でいたから(何分、そんな状態だったのか分からない)、血液が 顔面に集まっている?
それとも、誰かが来てくれたことに安堵の念が頬を幾 分、緩ませた? やはり、含羞の念か。
→ 仏花を供え、蝋燭に火を付け、一人、仏壇に向かう。
杖がそばに転がっている。 事故ではなさそうだが、あるいは車がぶつかりそうになって、慌てて避けて通 り去った車に驚いて、思わず倒れたのか。
――事故ですか、どうしました?
と伺うと、腰痛で、起きれなくて、と弱々しい声で言う。道路を渡ろうとして、あの段差に躓いて…
――救急車、呼びましょうか?
ご老人は、いえ、大丈夫と気丈に言う。
先ほどのはにかみは、自分でも倒れて不甲斐ない、恥ずかしい、自尊心が傷つ いた、でも、自分じゃどうしようもない…、そんないろんな感情が交錯したものだ と思えた。
でも、含羞の表情だというのは、小生の勝手な見方に過ぎないのかもしれな い。 情けない自分が歯がゆくて、頭に来ていて、頭にカッと血が上っていたのかも しれない。真っ赤なのは自分への怒り(と口惜しさ)なのかもしれないのだ。
小生、ご老人の両脇に腕を差し入れ、抱き起こす。結構、重たい。それとも、 小生に力がない?
実を言うと、小生も長年のタクシー稼業の故か、それともロッキングチェアー で夜明かしする悪習の故か、まあ、日頃の怠惰な生活のツケが回ってきているよ うで、腰に爆弾を抱えている(ギックリ腰で徹夜し、そのままゴルフへ行ったこ ともあったっけ)。
男性は、ダラーンとした感じで、本人も自分で体に力を入れられないようだ。 腰痛だというが、年齢的なものもあるのか。 それとも精神的な脱力感もあるの かもしれない。
とにかく、片側一車線(対面交通のバス路線)の一車線を斜めの状態で横た わったままではまずい。 小生、自分の腰などの体勢をしっかりさせて、もう一度、気合を入れて抱き起 こそうとする。
ステッキが…とご老人。
――とにかく、ベンチに腰掛けてから。
そう言って抱き起こし、自分が支えに成る形で立ち上がってもらって、数メー トルほど離れた場所にあるバス停のベンチへ。 若い頃、柔道か何かやっていたのか、ガッチリした体躯の持主。上体を持ち上 げても、なかなか足が踏ん張れないので、やはり、重い。
それでも、なんとか腰掛けてもらうことに成功した。
ふと、田舎でお袋が福祉施設への迎え の車への送迎の際に、あるいは、何処か の家を訪れる時などに、車への乗り降 り、玄関での靴の脱着などの際に、お袋 の体を支える感じを連想した。
お袋は今年、誕生日を迎えると、八十 歳になる。体はすっかり軽くなってい て、支えた時の重みはまるで違うのだけれど、体のダラーリ感というのか、踏ん 張りがまるで利かない感じに同じものを感じたのである。
急いでステッキを拾い上げ、ご老人に渡し、
――大丈夫ですか、救急車、呼ばなくていいんですか。
と訊く。 ステッキを持つと、幾分、男性は安心したような表情を見せ(ありが とう、と言ったような気がし)た。
――大丈夫です。バスに乗って病院へ行くつもりでいたんです。
ステッキを支えにして手を乗せ、上半身をしっかり起こし、小生を見る。 自分は大丈夫だと、背筋を伸ばしている姿勢で示そうとしているような気がす る。昔気質の方なのだろう。
最後に、もう一度、大丈夫ですねと声を掛けて、手を振って、ご老人から立ち 去ろうとする小生。 小生、声が小さいし、表情もボヤッとしている風に見られがちなので、挨拶の 際は、手を振る癖が付いている。
ご老人は、小生の背に、ありがとう、と言ってくれた。 男性は、大きくはっきりと、ありがとうと言おうとしていたような気がする。
小生が男性を抱き起こした際に、その脇をタクシー(法人)が一台、通り過ぎ る。 さらに、ベンチから去り際にも別の一台の(個人)タクシーが通りかかった。 最初の一台は、小生が老人をベンチに腰掛けさせる様子を見たはず(つまり、 路上に転がっている老人のもとへ駆け寄る小生の姿は見ていない)。
まして、二台目のタクシーは、ベンチに腰掛けさせてから老人に手を振って立 ち去る小生しか見ていない。
要するに、二台のタクシー(共に空車)のドライバーには、まるで小生が自分 のタクシーでぶつけたか何かのトラブルを起こし、示談でもして、急いで事が大 事(おおごと)にならないうちに立ち去ろうとしているように見えたかもしれな い。
その二台目のタクシー(個人)が先を走る、そのあとを小生の車が追いかける 形になって、なんとなく気まずい。 その運転手さん、誤解していないかなって、余計な心配したり。
さて、そのご老人、バスに乗って、無事に病院へ行けたのだろうか。 そもそも、あの様子じゃ、バスに乗るのも大変なんじゃなかろうか。 小生がそこまで心配する必要もないが、まあ、多少なりとも縁を持ったからに は気になる。
あるいは、男性がバスに乗るのを見届けるべきだったのか。始発のバスが何時 に通りかかるか正確には分からないが、六時前ってことはないだろう。 20分余り、あるいは半時間以上も、その場で様子を伺っているべきなのか。
← 近所の畑の、ナデシコの群生を見て、我が輩も欲しくなり、ナデシコの苗を四株、ついでにアサガオの苗も三株、買ってきた。やや陰気な我が庭に、もっと光を! というわけである。
それから約一時間後、会社への営業報告などが終わってから、同じバス路線を 自転車で走って帰った。
例のバス停に老人はいるだろうか…。
が、いなかった。 ってことは、無事、バスに乗って病院へ行ったんだよね?!
(「轢き逃げ ! ?」( 2007/05/15 )より抜粋)
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