「ラヴェンダー・ミスト」断片
私はきっと自分だけの楽しみを求めているに違いない。だがそ れが何なのか自分でも分からないでいるのだろう。今、目の前に 獲物がある。それをひたすらに追う自分の姿を突き放したような 冷ややかさで見ているのだ。その気持ちの正体が何かは言葉では 表現できるようなものではないと思われた。私は肉の海で溺れて みたかった。溺れ込み、沈み込んで、圧倒する濃密な汗とよだれ の滴る歓喜の修羅場の只中で、自分の身のうちにしつこく潜み根 付いてしまった、決して何者とも和することのない眠らぬ虫を殺 してしまいたくてならないのだった。女の肉が私の肉と区別し難 いほどに交わって、私は白いふくらはぎ、それとも柔らかな和毛 (にこげ)に覆われた深くて細い小川の魚をつっつく水鳥、ある いは金剛像に纏わり付く蛇だった。薄明かりの部屋の中で石ころ が転がって、ありとあらゆるところにぶつかり、積年のうちに堆 積した垢や苔を嘗め回し削り取ろうとしていた。燃え上がる欲情 の洪水が浜辺の砂山を押し流すのだった。できれば同時に私を食 い尽くす虫をも窒息させてほしいと思った。 気怠い淀んだ空気が漂っていた。私から女に注がれた精力も彼 女の肉体の精気と一緒に浮遊し、中空で性懲りのない戯れを演じ ていた。女は隣で軽い鼾(いびき)を立てている。裸のまま体を 折り曲げて、無邪気な顔を枕に埋めるようにして寝ているのだ。 私はその幼さの残る寝顔を見ながら、いつもの性癖を果たしたい という欲動がむくむくと湧いてくるのを憂鬱さと、そして少しば かり待ち遠しいという念で待っていた。こうなったら私にはもう 制する力は残っていないのだ。私の中の遥か奥の院の何者かが勝 手にやっている、そうとしか私には言えない。
「ラヴェンダー・ミスト」p.31-2(『化石の夢』所収)
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