カエルたちは何処から?
案の定、カエルたち、田んぼに元々居たんでしょうね…と。
それはそうなのだが…
東京など都会のただ中に暮らしていると、カエルの鳴き声もめったに耳にしないのだろう。
そういえば、小生の家の近くには、畑もあれば田んぼもある。
なのに、カエルの鳴き声を聞いた記憶が、この頃はまるでない。
富山空港は、富山市のやや郊外にあり、近隣には田んぼも結構、多く見られる。
田植えが中旬に終わり、田圃には稲の苗が規則正しく植え付けられている。
張られた水も、一時期の喧騒を忘れ、吹く風に気持ちよさそうに、細波を立てるばかり。
一時期の喧騒…
そう、耕運機で耕された田に水が張られ、水分が田に十分浸透させる。
水をしっかり含んだ田の土は生き返ったかのようである。
その田圃の土の中に、或いは畑の土中にカエルたちは冬眠していたのだろう…
やがて耕された水の張られた田は、耕運機で苗を植えられていく。機械の及ばない隅っこは人力で田を均され、苗が手で植えられていく。
田には少なくとも二度は大型機械が入って、土が混ぜ返される、或いは耕運機のタイヤで踏み込まれ、改めて均されていく。
カエルたちはその中を生き抜いてきた、ということか。
冬眠していたカエルが目覚めるのは春先である。
俗に言う啓蟄の頃、カエルも土中から這い出し、目覚めきらない体を陽光に晒し、活動を再開する。
つまり、田植えの季節には、田んぼの何処かにいる、それとも池でもあれば、そこに生息地を見出すのか。
田圃から聞こえるカエルたち合唱、声の、恋の合戦は、田植えも終わって静まり返るはずの田圃を喧騒の渦の中に巻き込んでいく。
春先の静かな田畑… そこにあれだけの命たちが、降って湧いたように、渦巻いている。
田圃の土の中に元々居たんだろうけど、でも小生の素朴で単純な感性には、命たちが突然、湧き出たように感じられ、命の驚異をひしひしと感じてしまうのである。
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