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2012/05/18

木彫りの町井波へ 「井波別院 瑞泉寺」へ!

 つい先日、僥倖にも再び彫刻で(も)有名な井波の地を訪れる機会に恵まれた。
 前回は、車で素通り同然だったが今回は、休憩時間に井波の彫刻の道を歩き、更に瑞泉寺を見て回ることができた。

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← 「瑞泉寺 本堂」(画像は、「 真宗大谷派井波別院瑞泉寺 - Wikipedia 」より)「 真宗大谷派 井波別院 瑞泉寺のオフィシャルホームページ」を参照のこと。

真宗大谷派井波別院瑞泉寺 - Wikipedia 」によると、 「真宗大谷派井波別院瑞泉寺 は、富山県 南砺市 井波にある 真宗大谷派 の寺 院である。同派の 別院。真宗本廟(東本願寺) を本山と仰ぐ。 「井波別院 」、「瑞泉寺 」と略称で呼ばれる。山号は「杉谷山」 (さんこくさん)」。

 また、 「 真宗大谷派井波別院瑞泉寺 - Wikipedia 」によれば、 「戦国時代 には、越中一向一揆 の拠点とされ、伽藍は堅牢な石垣 に囲まれている。瑞泉寺の建物の彫刻は、全て木彫刻工業が盛 んな南砺市 井波の職人の手によって飾られている」という。

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→ 「山門」 戦国時代、織田信長や佐々成政らにより焼き討ちの憂き目に遭い、さらには、「 明治12年(1879年)、火災で大門(山門)などを残し主要伽藍 を焼失。その後明治18年(1885年)に本堂、大正7年(1918 年)に太子堂が再建された 」。山門が現存する一番古い建物のようだ。「 瑞泉寺総合改修工事のための「特別募財」をお願いしております」とのこと。尚、本画像以下は、小生が撮影。

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← 山門 門の奥に修復工事中の本堂が垣間見える。山門は、天明5年(1785)から文化6年(1809)にかけて作られた。当初は、京都の大工柴田新八郎が棟梁となって再建が進められるが、工事中に本山(東本願寺)が全焼し、井波大工、松井角平が棟梁を受け継ぎ、完成にこぎつけた。

越中一向一揆 - Wikipedia」によれば、 「 越中一向一揆 は、 文明11年( 1479年)頃から 天正4年( 1576年) にかけて、越中の瑞泉寺 と土山御坊 門徒らが中心となった 一向一揆」 。
 年代に注目すれば分かるように、凡そ百年に渡って、越中に於いて強大な影響力を持ち続けたわけである。
 調べて初めて知ったのだが、越中一向一揆は、 加賀一向一揆勢力と、対立関係にあった!

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→ 山門をくぐると、真正面には本堂。左手には、藤棚越しに、太子堂が見える。隣接する宝物殿で「 絹本著色聖徳太子絵伝 8幅」などを見てきた。聖徳太子は、実に謎の多い人物である。

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← 瑞泉寺に至る井波彫刻の道は、八日町通り、という。八日町広場(道の駅)にある、大きな案内も、井波彫刻作品。

 八日町通りにある、「蕎麦懐石 松屋」にて、手打ちそばをいただいた。
 手打ちそばを食べたのは、十数年ぶり!

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→ 八日町通りを瑞泉寺方向に撮る。井波彫刻の職人が随所で実演販売している。井波美術館や井波木彫工芸館、池波正太郎ふれあい館などは素通りに。惜しい。さすがに、山が近い! 

 好天に恵まれたこの日の走行は、快適なドライブだった。ああ、もっとゆっくり歩いて見て回りたかった。
 そして、できれば、井波の彫刻作品を一つでも入手したかった。

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