富士は日本一の山、だよね ! ?
自宅では、ジーボルト (著)の『江戸参府紀行』 (東洋文庫 (87), 斎藤 信 (翻訳))をゆるゆる読み続けている。
今週末には読了と相成りそうである
19世紀に入ってから、いや、その前から徳川幕府は、さらには日本が風雲急を告げていた。
医学に限らず蘭学(オランダ人)を通じて最先端の洋学への関心は高まるばかりだったし、身に付けている人物も現れ始めていた。
シーボルト(の医学など)の知識は、全国の医者らには垂涎の的だった。
事実、彼の日記を読むと洋学を志す人物は先を争って彼の元へやってくる、その記述は実に多い。
幕府や藩の公認の下で、あるいは禁制を犯すリスクを押して。
ところで、本書を読んでいて、奇妙な行(くだり)に遭遇した。
シーボルトは、本書の中で、「出羽国の鳥海山がもっと高い山と思われるので、富士山は日本でいちばん高い山ではない」と書いている。
本書の注記にもあるが、あまりに明らかな間違いである。
富士(山)は、日本一の山である!
← この水曜日にゲットした腕時計。二十年ぶりに買ったよ。
問題は、江戸時代末期の、つまりはシーボルトが日本を旅していた当時の日本人の認識がどうだったか、である。
シーボルトは、富士山に登った形跡はない。
しかし、富士山についての情報は、高さを含め、多くの日本人から(あるいは、日本を訪れたオランダ人等から)耳にしていたはずである。
なのに、鳥海山が富士山より高いと、さも常識のように書いているのだ。
シーボルトの勘違い?
それとも江戸末期あるいは維新頃までの日本人は、富士山の高さは認識しつつも、遠い出羽の国の鳥海山のほうが高いと思っていたのだろうか。
富士山もだが鳥海山にもシーボルトは、登っていない。
そもそも江戸より東(北)のほうへは足を踏み入れていない。
しかし、知見は文章や弟子などを通じて、豊富にシーボルトのもとに入ってくる。
ちなみに、鳥海山は、 鳥海山 は、「山形県 と秋田 県に跨がる 標高2,236mの活火山 。出羽富士 とも」。「東北地方 では燧ヶ岳(標高2,356m)に次いで2番目に標高が高い」。
うーむ。白山や立山と高さを競うならまだしも、どうして鳥海山なのか。
やはり、シーボルトの勘違いか、それとも接した情報源が拙かったのか。
→ 車道沿いの花壇の隅、笹などに埋もれるようにして、得体の知れない樹木(草?)が。ナナカマド? 種を蒔いた覚えはない。花粉が飛んできた? ここは花壇だよって言っても、聞く耳はないよね。
シーボルトは、国家の密命(?)を帯びていて、日本各地の緯度・経度を測定しつつ旅している。海(海岸)では、海の深さの測定も怠らなかった。
が、本書を読んでいて、山の高さ(標高)を測る記述は見当たらない。
欧米には既にちゃんと標高を測る技術はあったはず。
でも、日本においては、どうだったのだろう?
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