ついムキになり落花狼藉
ところが一歩、庭を歩くとあちこちアラが目立つ。
休耕地にかまけていた十日間の間に、雑草がヤケに目立つ。
庭に9本ほどある山茶花の花々が最盛期を過ぎ、やや無惨な姿を晒している。
満開はいいが、咲いているうちに、淡い黄色や赤紫色の花びらが褐色に変色(褪色)している。
それもかなりの割合の花が萎え始めている。
豪奢な花びらの集まりだけに、褪色ぶりが余計に哀れである。
色褪せた花は、枝葉から剥がれ落ちやすく、ちょっとした風が吹くだけで、花の形ごと、ボタッとおちる。
どう見ても、落椿の風情である。
数多くの花たちが山茶花の木の根元や近くの樹木(多くはツゲ)にその末期の姿を無防備に晒している光景は無惨そのものである。
ちょっと離れたところから落下した花たちの溜まり場をチラッと眺めると、何かの大きな生き物が胴体を真っ二つに断ち切られ、大量の血潮が血糊の海となっているようにすら見える。
小生は見るに見かねて、山茶花の木から褪色しかけている花たちをそっと取り去り、目立たない場所に集めた。
無論、花を摘み取るわけじゃない。
手のひらを広げて、弱り始めた花の下に差し入れる。
元気で咲く勢いのある花は、手のひらが触れても、びくともしない。
でも、枝葉への執着心の萎えた花びらは、手のひらにあっさり、やんわりと落ちる。
落ちるというより、手のひらにふんわり場所を移すという感じである。
褐色の花の減った山茶花の木は、淡い黄色や、ピンク色、あるいは赤紫色の花の色も鮮やか、見映えがする。
これでよかったのかどうか、分からない。
それこそ、風の吹くままに、自然の落花を待つのが筋なのかもしれない。
そのあと、やはり、素手のまま、庭の雑草毟りに没頭した。
気がつけば一時間半を経過。
手先、特に指先は爪も含め泥まみれ。
そんな汚れた手を眺めながら、山茶花の花を多少なりとも散らした罰のようであると感じていた。
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