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2012/04/22

楠木正成は歯痛の守護神?

 自宅では、ジーボルト (著)の『江戸参府紀行』 (東洋文庫 (87), 斎藤 信 (翻訳))をゆるゆる読み続けている。

 日々雑用が多くて、二週間経っても、半分ほど。

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 江戸時代末期から明治維新前後を扱った本、あるいはその当時に書かれた著作を読むのが何年か前からの読書の題材の一つになっている。
 きっかけは、恐らくは島崎籐村である。
 それもかの傑作『夜明け前』だ。

 藤村は血筋的には小生には何ら関係のない人物だが、『夜明け前』に圧倒されて以降、藤村を勝手に我が御先祖様のように感じて彼の小説を、ひいては関心がどんどん膨らんで幕末や明治維新、そして明治へと広まってしまった。

 まあ、小生が東京で十年ほど住み暮らした高輪が、藤村が一時期教授をしていた明治学院大学に近かったとか、高輪、白金辺りを藤村も歩いたんだろうとか、さらにこじつけが昂じて、我が輩の親戚に名前の似た一族がいるとか、何とか無能な自分を藤村に結びつけようと足掻いているわけである。

 関心は広まって、幕末や明治に生きた当時の庶民の生活を通して、我が一族の御先祖様も、かくなる暮らしぶりだったかと、面影を偲ぶ…
 冒頭の ジーボルト (著)の『江戸参府紀行』なる本もその一環である。


 ところでこの本の中で、シーボルトは歯痛(止め)の神様として崇められていたという一節があった。
 江戸への参府の旅の途中で寄った兵庫(旅の行程の詳細は、「 シーボルト江戸参府紀行日程 」を参照のこと)。
 そのとある村に楠木正成の墓があり、シーボルトはわざわざその墓に立ち寄った。
「彼は歯痛の守護神であるから、墓は歯の痛む人人をひきつける」とある。

 ついでながら当時の墓の様子は、「この名将の墓は、蔭の深い森の中にあり、花崗岩で作られた記念碑が墓所に美しさをそえ、その上に神社の形をした小さい建物が立ち、前方に格子が付いていて、たくさんの小さい絵馬が掛かっている」とか。

 以下、船乗りの守護神としての正成についての叙述が続く。
 せっかくなので、転記しておく。同じ墓所についての記述の続きである。
「ヒノキを用いて作った小さい三方に、ぷっつりと切り、よく手入れしたマゲをのせ、髪を切った人の名をそれに添えてあるのが、私の注意をひいた。それには次のような事情がある。楠木正成は船乗りの守護神でもあったから、暴風雨とか難破のおりには船人は祈願を行ない、神と崇められた武将に最も大切な自分のマゲを供えるのである」。

 生憎と本書では、シーボルトは、楠木正成を歯痛や船乗りの守護神であることは周知の事実として、何故
に守護神とされてきたのかの説明はこころみていない。

 …気になる!

 ネットで調べても理由は判然としない。
 ただ、「 和田賢秀の墓(四条畷市)」にヒントとなるかもしれない説明があった。

伝説によれば、討死の際に敵将の首に噛み付き睨んで放さず、敵はそれが因で死んだと言う。 この逸話がもとで土地の人々は賢秀の霊を「歯噛(神)さん」として祀っているとのことであ る」。

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 ちなみに、「 和田賢秀は楠木正成の弟正季の子で、楠木正行とは従兄弟同士である」。

 和田賢秀の墓と 「歯神さん」を祀る祠とは近い場所にある。
 この辺りの伝説が楠木正成と絡められたのだろうか。
(「 和田賢秀の墓(四条畷市)」には、詳しい説明が載っている。)

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