蓑虫
世界の中のあらゆるものがとんがり始めた。
この私だけが私を確証してくれる はずだったの に、世界という大海にやっとのことで浮いている私は、海の 水と掻き混ぜられて形を失 う一方の透明な海月に成り果てているのだった。
蓑虫でなくなり、やがて形を失ったのだ。
ならば、一体、この私の存在を確かなものとしてくれるのは、何なのか。そも そも何かある のだろうか。
私は裏返しになってしまい、途端に消えてしまったの である。
残ったのは、影でさえない。 あるのは吹きすぎる風。湖面の細波。車に噴き上げられる塵埃。落ちることを 忘れた黄砂。 消しきることの出来ない半導体のバグ。磨きたてられた壁面の微細 な傷。白いペンキで消し去 られたトイレの落書き。
どこに私がいるのだろう。そ れとも、そのいずれにも私がいるのだろ うか。
ヴォルスの抽象的で、それでいて生々しい線刻の乱舞。それは生への嫌悪であ ると同時に生 への恐怖。
確かにサルトルの言う通りなのかもしれない。 けれど、嫌悪とは、依然として一種の自己主張の名残なのではなかったのか。 嫌悪の裏側に は、ある種の望みなき救いへの祈り、悲鳴という名の肉声の形に凝 縮された祈りが隠れ潜んで いるのではないのか。
私はヴォルスの多次元なまでに舞い狂う線描の突端へと駆け寄りたいのである。
いつの日か 寄り添いえた暁には、パウル・クレーとは違った意味での、心と体の 慰撫という幻視がありえるかもしれないのだ。
(「 ヴォルスに捧げるオマージュ(2) 」(02/03/24 )より)
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