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2012/04/12

鬱憤の溜まる日々

 ブライアン・グリーン著『エレガントな宇宙―超 ひも理論がすべてを解明する』(林 一/林 大 【訳】 草思社)を読み終えた。
 以前、日記にも書いたように、再読である。
 刊行当初にも買って読んだが、引っ越しのどさくさで手元を離れた。
 一般向けの啓蒙書で宇宙論の本で再読に耐える本というのは、それほど多くない。
 
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→ 松の巨木の彼方、春の青空に飛行機雲。

 数式を省き、比喩を駆使して、数式を使わないと表現できない世界を何とか噛み砕いて文系人間に説明しようとするのだが、その噛み砕き加減が難しい。
 我々物理の門外漢をバカにしてるんじゃないかと、疑心に駆られそうなほど安直だったり、肝心の中身を薄めてしまったり。

 そんな中、本書は超ひも宇宙論をかなりな程度、抽象度の高いところまで説明してくれている。
 小生の理解が及んだかどうかは怪しいが、ずっしりした読後感は与えてくれる。

 前にも書いたが、今、宇宙像の大転換のただ中にある。
 宇宙への理解は、単なる好奇心のなせる業(わざ)じゃなく、我々の生きるこの世界そのものの理解と密接に繋がっている。

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← ブライアン・グリーン著『エレガントな宇宙―超 ひも理論がすべてを解明する』(林 一/林 大 【訳】 草思社) 傑作。「目の前の木々の緑や空の 青や、水のせせらぎや、そよぐ風が、誰にも平等に与 えられているように宇宙も、その姿を誰にも均しく垣 間見せてくれる。その宇宙の姿の片鱗を通して何を感 じ何を思うかは、まさにその見詰め見詰められる人間 の想像力と感性次第なのだと思う。心の揺らぎを覚え る人であれば、どんな思想家や物理学者より豊かな何 かを宇宙に、この世界に感じとっているに違いないの だ。いざ、それを言葉にすると拙くなるとしても」な どと書いた小生の感想は、「『エレガントな宇宙』雑感」にて。

 ところで、不思議な符丁と言うべきか、宇宙像の大転換の瀬戸際という事態と、我々のこの現代の世界のやや漂流気味の事態とが、何処か平行しているように感じられる。
 日本の政治が漂流気味で、世人の間に、世に義憤を抱く人々の間に鬱憤・憤懣が溜まっていて、維新の会のようなタカ派集団の勃興のための沸々たぎるエネルギー源となっているように思える。

 結論を急ぐ性急さ、政治的意志の決定を、だらだらとした議論や煩雑な手続きに依らず、強力なリーダーシップで、頭ごなしに決定し、実現してしまおう、という向きを良しとする風潮。
 危険な兆候かもしれない。

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→ 棕櫚の木も蒼穹に気持ちよさそう!

 読みたい本が溜まっている。
 読みかけた本は一気に読み通したいが、東京在住の頃とは違って、雑事が多く、日にどれほども読めない。
 車中でも短編集を読んでいるが、忙しい訳じゃないのに、なかなか読み進められない。
 疲労が溜まっていて、待機の際も、本に手がでない。
 読みたいのに読めない鬱憤が溜まっている。

 これまた危うい兆候かもしれない ! ?

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

いやいや、国見さん、
それだけ読んでいたら、もうじゅうぶんです。
仕事中に本が読めることじたい、
僕には不思議に思えてきますし。

読書って、つきつめれば娯楽なので、
趣味のひとつとして、例えば、仕事中にプラモデルを作ってたりするのと大差ないと思うのですが、
どういう訳かプラモデルより読書が立派です。

年とともに、仕事やつきあいや、スキルアップがどうのこうのや、
あれやこれやにおされて優先順位が低くなってしまいます。
というか、本を読むより自転車を漕いでいるほうが好きだし、
そうじをしたり、買い物をしたり、車をいじってるほうが性に合う、ってだけのことで、
読書はあまり好きではない、というほうが正直になるのですが。

それでもね、こんな僕でも、読書は好きでいたいし、
ほんとうに好きなのです。
難しい本なんか、読めないくせにね。

投稿: 青梗菜 | 2012/04/13 10:24

青梗菜さん

本を読むとは、人の頭を借りて考えること…風なことを言った人がいたような。
確かにその通りだなと、思ってもみるけど、年を重ねると、それだけのことすら、至難な自分に情けなく思い、でもまあ、こんなものかと開き直りじゃなく、ありのままの自分でいくしかないな、とも。
在宅の日は(雨の日は別だけど)、庭や畑仕事。花を育て、野菜も今年は挑戦するつもり。

帰郷して四年あまり、未だに好きじゃない。

土いじりなら、陶器、焼き物をやりたいな、なんて。
手先にはほんの少しでも器用さがあれば、手仕事をやりたかった。

別に芸術ということじゃなく、彫刻に興味がある。
彫刻作品を観るのは、あまり興味がないんだけど。

楽器に挑戦したこともあったっけ。ピアノとか、ケーナとか。

本にこだわるのは、知的な点でのコンプレックスがあるのかな。
でも、ガキの頃、宇宙論の本や、海底の神秘、太陽の謎、ピラミッド不思議、生命の謎、インカ帝国やイースター島の謎、といった本やマンガの特集を読んでの感動、ニュートンやアインシュタイン、湯川秀樹の伝記を読んでの憧れの念、読書への原点なのかな。

重い病気とか、やたらと気分が落ち込み、憂鬱のどん底にはまり込んだ際、本を読むなんて論外だった…
なのに、自分には何もない、話を交わす相手も一人もいない、女が好きなのに…相手にされない、追い詰められて、何故か天文学の本に手を出していたりして。


青梗菜さんの日々の愛玩ぶり、興味津々。
ホント、興味津々です。

投稿: やいっち | 2012/04/14 18:47

わははcoldsweats01
僕は恋をしているので、
いつもいつもラブレターの文句を考えています。

そうでもしないと魔法が解けて、
ミニが、ただの古い車に戻ってしまうので。

国見さんも、恋を。

投稿: 青梗菜 | 2012/04/14 20:59

青梗菜さん

帰郷して、何か物足りないなって、この四年あまり、ずっと感じてきました。
そう、東京在住時代、熱中していた何か、年甲斐もなく追っかけしていたサンバやベリーダンサーたち。
東京にいた頃だって、ある意味、今より寂しかったけど、それは恋していたから。
その恋慕の情がブログの日記や雑文に、あるいは、そうした雑文を書くエネルギー源になっていた。
富山では、そうした対象を、人物を、というか好きな女性を見つけられないでいる。
情熱が冷めているから、畑や庭仕事を口実に引き籠もり状態に陥り、どつぼにはまったことで、一層女性を、恋する対象を見いだす機会に遭遇できなくなる、そんな悪循環陥っているようです。
文章を書くのが何より好きなのに、書くモチベーションが下がっている、その自覚が淋しいのです。

投稿: やいっち | 2012/04/17 04:11

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