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2012/03/05

猫絡みの小説など

 つい先日、漱石の『夢十夜』を読んだ。 
 さすがに何度読み返しても面白い。
「十夜」と云わず、「百夜」も織り成してくれていたら、と思った。

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→ A・ビアズリー によるポーの『黒猫』への挿絵、1894年-1895年 (画像は、「 黒猫 (小説) - Wikipedia 」より)

 でも、これだけのレベルでは十夜が、漱石であっても創作力それとも気力の限界だっのか。
 あるいは新聞の連載小説としては、やや相応しからぬ内容だったのか(あるいは、単に連載上の都合で十回と決まっていたのか)。

 

 今時の新聞小説で「十夜」に拮抗しえる作品はあるのだろうか。
 それとも小生が知らないだけ?

 漱石と云えば、『吾輩は猫』である……から連想したわけじゃないが(しなかったとも言い切れないが)、猫小説、つまり猫が主人公とか、猫に絡む、それとも猫がテーマの小説って、いったい、どれくらいあるんだろうと、ふと思ったが、考えるまでもなく膨大な数に上るだろうことは明白なので、リストアップは、単なる思い付きにしても、途方もないことと察せられ、即座に試みは断念した。
 何しろ、小生ですら、掌編を十編以上も書いているくらいなのだ:
「 黒猫ネロ 」シリーズ
「猫」シリーズ


 まあ、小生のことはさておき、有名な作品だけでも幾つか挙げてみたい。

 ずっとずっと昔だが、SF小説にはまっていた頃、ハインラインのSF小説も読み漁った。その流れで、 「夏への扉」も読んだ。
 これには猫が主人公の相棒みたいにして、重要なキャラクター役で出ていて、印象的だった。
 が、もう内容はほとんど覚えていない。

 漱石の『吾輩は…』は、正確には猫目線という設定で、猫を描いていると云えるのかどうか、微妙。
 でも初めて読んだ十代の頃、目にするどの猫も人間社会を、というかこのオレを密かに、或いはこちらの意中など知らぬげにジッと観察しているようで、猫が不気味な存在に感じられてならない時期があったっけ(そういった不気味さは、実を云うと今も折々覚える…)。

 不気味というと、 エド ガー・アラン・ポーの短編小説『黒猫』が真っ先に思い浮かぶ。
酒乱によって可愛がっていた黒猫を殺 した男が、それとそっくりな猫によって次第に追い詰められていく様を 描いたゴシック風の恐怖小説であり、ポーの代表的な短編の一つ 」。

 小生が黒猫に必要以上の恐怖感を覚えるようになったのは、ポーのせいだ ! ?

 不気味そして恐怖つながりになるが、小説ではないものの、映画化され、テレビでも何度となく観た「 鍋島の化け猫騒動 」モノは逸することが出来ない:

「鍋島の化け猫騒動 」

肥前国佐賀藩の2代藩主・鍋島光茂の時代。光茂の碁の相手を務めていた臣下の龍造寺又七郎が、光茂 の機嫌を損ねたために斬殺され、又七郎の母も飼っていたネコに悲しみの胸中を語って自害。母の血 を嘗めたネコが化け猫となり、城内に入り込んで毎晩のように光茂を苦しめるが、光茂の忠臣・小森 半佐衛門がネコを退治し、鍋島家を救うという伝説

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↑ 歌川国芳 画『梅初春五十三駅』。 1835年(天保6年) に市村座で上演された同名の 歌舞伎の場面を描いたも の。ネコが化けた老女、手拭をかぶって踊るネコ、行灯 を舐めるネコの影などが描かれている 。(画像・情報は、「 化け猫 - Wikipedia 」より)

 なんだか、意に反して、ネコ=不気味 といった偏見を印象付けそうな雲行きになってきた。

 ここらで日常の中での猫との交流を描いた随筆を幾つか。

 エッセイ(随筆)にも傑作は数々ある。
 中勘助の「猫の親子」や内田百閒の「ノラや」は欠かせないとして、小生が昨年の一月、入院した際、病院の売店でたまたま見つけた 大仏次郎 の「猫のいる日々」は絶品だったなー

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コメント

やいっちさん、こんばんは!

幼い頃に「黒猫さんをみかけたら悪い事が起こる?!」
なんて根拠の無い噂を聞いた事があったので
幼い頃の私は、幾度と黒猫さんに遭遇する度に
心密かに動揺していた頃が懐かしいです〜。

毎度ながら猫ちゃん達はいつも通りの機敏な仕草で、私の姿を尻目にさっさと通り過ぎるか?おねだりヨロシクと近寄ってきては、
時々引っ掻かれたりとびきりマイペースな様子。
しかしここ最近、
すっかり黒猫さんをみかけなくなりました。

どこいっちゃったのかな?

改めて、ポーの黒猫を読んでみたくなりました。


投稿: のえるん | 2012/03/05 20:36

のえるんさん

猫は猫であるだけで独特の雰囲気や性格を持っているようです。
ましてや黒猫となると、黒い影、黒い塊の蠢きということでしょうか、闇の世界からの使者、不気味さを感じてしまうようですね。

特に真夜中に黒い影がサッと視界を過ぎると、一瞬、背筋が凍る思いに駆られます。

ポーの『黒猫』は読み応えがありますね。
小生の「黒猫ネロ」シリーズも宜しく!

投稿: やいっち | 2012/03/05 21:40

おお、国芳の絵だ。
東京では国芳の展覧会がなぜかたくさん開かれていまして、平木浮世絵美術館では、にゃんとも猫だらけ、化け猫騒動という展覧会まで開かれる始末。
漱石、久しぶりに読みたくなりましたが、ちょっと今日訪れた朝日マリオンの震災写真展の衝撃が強烈で反芻してます。

投稿: oki | 2012/03/05 21:59

「長靴を履いた猫」はどんな話だったか? とWikiで調べてみたのですが、なかなか面白い話でした。
子どものころ、アニメを見ているはずなのですが、すっかり忘れていました。
ポーの「黒猫」の印象を少しはやわらげてくれる物語ではないかと思います。

投稿: 瀧野信一 | 2012/03/06 02:43

okiさん

国芳、奇抜な絵で面白い。
化け猫騒動という展覧会は、見たい!

3・11からもうすぐ一年。
あの衝撃は、先の敗戦に次ぐもの。
大概の文学など圧倒する。
でも漱石にしても、戦後の文学者らも懸命に格闘し、模索してきた。
我々にはそんな多くの戦後の作家らほどの覚悟、気迫はあるものか。
美は細部にあり。
戦いも日常の中にこそあるものと思います。

投稿: やいっち | 2012/03/07 21:58

瀧野信一さん

「長靴を履いた猫」の話、確かに昔、楽しんだような。
猫に絡む、いい話、いろいろありそうです。

投稿: やいっち | 2012/03/07 22:02

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