【吉本隆明氏死去】 吉本氏の思い出
今朝(16日)、テレビで 吉本隆明氏死去の報道に接した:
「【吉本隆明氏死去】 戦後思想に圧倒的な影響 時代と格闘したカリスマ 若者を引きつけた吉本思想」( 47トピックス - 47NEWS(よんななニュース))
突然のふほう…でも、直近の詳しい事情に疎い者には、訃報は大概、青天の霹靂のようにして、知らされる。
偶然だろうが、昨日(15日)、葬儀に参列してきた。
無論、吉本氏の死を予感して、ではなく、近所の方の葬儀だったのである。
一昨年から、我が町内で少なくとも8人の方の訃報に接している。
その内、三人は我が親族。
吉本氏は、どんな形の通夜、葬儀となるのか分からない。
親鸞の教えに(も)誰より接しておられたから、浄土真宗系の葬儀となるのか。
報道では、 葬儀・告別式は近親者のみで行うらしいが。
小生は幸いにも吉本氏の間近で、というより、まさに同氏の自宅で吉本氏の熱の籠もった話を伺う機会に恵まれたことがある。
それも、何度も。
というのも、知り合いの方の取材、インタビューの座に同席させてもらったのだ。
9・11事件の頃のことである。
事件に関連する形で(ブッシュのアメリカによる対イラク戦争が引き起こされたこと、更に当時の小泉首相が賛意を示したことが大きい)、戦争論が一部ジャーナリストや評論家の間で沸騰した。
知り合いは、吉本氏は戦争をどう考えるかを端緒に吉本氏の考え方を広くインタビューしていた。
小生は、長時間に渡る取材(インタビュー)テープを文章に起こす、下準備作業を担っていた。
正確に言うと、テープの話を一切編集せず、可能な限り(聞き取れる限り)、逐語的に活字の形に起こしたわけである。
記憶する限り、小生自身がインタビューに口を挟んだり、まして吉本氏に質問するようなことはなかった。
同氏の話は実に熱が籠もっており、わかりやすいものだった。
常に民衆の目線で、を心がけておられた、そのままの話しぶりだった。
(長時間に渡るインタビューの結果は本となり、出版され、吉本人気もあって、且つ理解しやすい文章表現という工夫もあってだろうが、当時、当時なかなかの売れ行きだったと記憶する。)
インタビューは、その都度、何時間にもなる。
当時すでに高齢だった吉本氏は、疲れを知らない話しぶりで、背筋を伸ばして伸ばして、意気軒昂だった。
それでも時折、一服のの時間があった。
襖が静かに開いて、若い女性の方がお茶を盆に載せ、入ってこられたのだ。
取材する側の気遣いなのか、娘さんの気遣いだったのか。
人に問われるとつい熱心に語りかけるが、実のところ、長年の糖尿病、そして、 96年の夏、西伊豆の海でおぼれて重体に陥って以降は、体調不良にも悩まされてきたのだ。
吉本氏の娘さんとは、そう、云うまでなく、「キッチン」「TUGUMI」などの作品で知られる作家・よしもとばななさんである!
できればサインなど欲しかったが、シャイな性格が災いして、口に出せなかった。
そのよしもとばななさんの談話もニュースで報じられていた:
「よしもとばなな 父吉本隆明氏死去「最高のお父さんでした」」(芸能社会速報/デイリースポーツonline)
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コメント
やいっちさん
こんばんは。
吉本氏訃報について、
私もテレビニュースで拝見致しました。
お恥ずかしながら吉本氏というお方が、どういう方だったのかを知ったのも番組が初めて・・
よしもとばななさんさんの作品は読ませていただいた事が有ったのですが、お父上様だったとは驚きでした。
さらに、やいっちさんは御二方に
直接お会いになられていた事が有ると知り、
吃驚!
お会いになられたその当時の状況やお仕事についても、大変興味深く読ませていただきました。
改めて自分はまだまだ知らない事が多すぎて、何だかお恥ずかしい気分なのですが・・
これからもやいっちさんのコラムやエッセイで、今より少しでも様々な事柄を
勉強する事が出来れば!と、思っております・・・
投稿: のえるん | 2012/03/18 00:19
のえるんさん
吉本隆明さんの本はいずれも難解で、本のファンとは言いづらい。
でも、講演や、インタビューの際の語り口は分かりやすく、断固たるものがありました。
晩年の著作も、素養のない小生にも近寄りやすいものに。
民衆、大衆に寄り添うという姿勢の現れなのか。
その姿勢は逆に、学生運動の思想的リーダーと目してきた連中には気に入らないものだったようです。
まあ吉本さんは、誤解も含めて、誤解を恐れず、それこそが民衆の目線菜のでしょうから、難解好みの懸念など度外視していたのでしょう。
投稿: やいっち | 2012/03/18 21:30