歩道は融雪の対象外
今週に入っての寒気の緩みは、実に嬉しい。
体力減退気味の我が身体にも、除雪され路肩や裏道、日陰に溜まった雪の山の減量にも、日の光はたっぷりと恵みを与えてくれた。
樹木の枝葉に被さっていた、白く大きな、重そうな傘も、目にする限り、仕舞われてしまった。
水曜だったか、野暮用があって、晴れていたこともあり、ひさしぶりに 自転車を駆って 市街地へ向かってみた。
北陸の冬には珍しい青空。前夜には満天の星屑さえ愛でることができた。
気温はお昼前後には5℃か6℃ほど。
庭での雑事やちょっとした外出の際は、冷気を吸って喉を傷めないよう、マスクは必ず装着するが、水曜には、直用をまよったものである。
走り出してみると、やはり冬の風は冷たく、晴れとはいえ、油断は禁物とマスクをする。
晴れているとはいえ、路肩もだが、何より歩道の雪は融けきってはいない。
雪がほぼ皆無なのは、日の当たる車道か、融雪装置の完備している道などに限られる。
そんな道であっても、歩道は別。
日中、よほど日差しに恵まれる道でない限り、根雪は執拗に残っている。
自転車で駅前方面には、十分も要しない。
雪の消え去っている車道を走りたいが、たださえ路肩に雪山の列が延々と続いていて、車道は狭くなっている。
そんな道をおっさんが自転車でトロトロ走っていたんじゃ、邪魔だろうし、とにかく怖いし危ない。
できる限り、歩道の雪のない場所を選んで走る。
でもやはり、根雪の上を走るしかないこともしばしば。
正直、命懸けだったりする。
だったら、自転車を降りて押して歩けよ!って言われそうだが。
車社会である。融雪装置の完備された道であっても、歩道は別儀である。
店の前とか、駐車場の出入り口とか、限られた箇所だけ融雪されているか、除雪されているだけ。
一時期よりはましになったとはいえ、歩行者にも自転車を駆る者にとっても、滑ったりする危険はたっぷりのこっている。
そういえば、昔は商店街というと、アーケードとまではいかなくとも、店舗の軒先は雨も雪の難儀にも遭わないよう、庇を大きく張り出し、しかも個人商店などが続くと、庇が繋がって、除雪を協力し合ったり、買い物客には有り難いイメージもあった…けど、それも昔の話のようだ。
郊外にスーパーができたりして、地元の商店は点々とあるだけ。
車道の融雪装置でさえ、幹線道路すら完備していない。
駅前の電車道も成り行き任せ。
歩道の整備など眼中にないのだろう。
当然のようだけど、釈然としないようでもある。
…いや、やっぱり歩行者を大事にしないなんて、不条理の極みだ!
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コメント
南木佳士の小説に次のような文があります。
ベトナム戦の戦闘機乗りで、その後宣教師になったアメリカ人が、電車の運転手だった主人公に向けて言う台詞です。
《人の作る機械は、その速度が速くなればなるほど大きな罪を造るようです。》(『ダイヤモンドダスト』 文春文庫 p.181)
速度が早ければ、早いほど大事故の危険性は増加し、だから、車道は融雪され、歩道は融雪されないのかもしれません。
「大きな罪」とは何でしょうか?
人の作る機械の速度にあわせて世界観があるのではないか。
歩いて通る町並み、自転車で通る町並み、自動車で通る町並み、それぞれ見え方が違う。
そうすると、歩行の世界観、自動車の世界観、蒸気機関車の、電車の、ファントム戦闘機の、原子力潜水艦の世界観がそれぞれある。
引用した台詞は科学の発達に応じて、世界観を捨て、あるいは破壊してきた文明への痛烈な批判であるのかもしれません。
このように考えてくると、歩道が融雪の対象外だというのは、倫理的に問題がある、といえるのではないでしょうか。
投稿: 瀧野信一 | 2012/02/25 12:42
瀧野さん
車道の融雪が優先されるのは、産業(経済)優先の発想の現れでしょうね。
自動車産業優先。
日本の基幹産業である自動車産業を発展させるため、歩行者より車を優先する。
バスや電車などの公共輸送機関といった経費の掛かる、当局にはお荷物に手間暇を注ぐより、自動車社会に一般に頼らせることで、市民に自腹での通勤通学買い物に走らせる。
そのことが、街の荒廃に繋がり、肝腎の人間(日常生活)が疎外され、街の活気が萎えていく。
歩道の整備が後回しなのも、個々の人間をないがしろにする発想の結果なのでしょう。
雪の降り積もるに任せたままの歩道を人々はやっとのことで歩いています。
歩道を歩くのは通勤通学を除くと、日常は車に乗れない老人たちが歩く。
ゆっくりと、身体の危険をひしひしと感じながら。
投稿: やいっち | 2012/02/25 21:03
弥一さん、自転車も車ですよ、車道を通るのが原則ってご存知ない?
そちらは雪で滑りますか、こちら都会は何しろ携帯やりながら歩いたり、自転車乗ったりしている輩、果てはゲームに夢中になっている輩などばかりで危なくて仕方ない。
ところで名古屋から練馬に巡回した中村正義みてきました。
日展脱退してから、全国の画廊が正義の絵を取り引きしなくなったり、病弱で不遇だったりしますが、何と水俣病を告発する絵も描いているんですね!
正義不在という書をしたため、社会における正義の不在と死を覚悟した正義自身の不在をかけ合わせているんですね。
投稿: oki | 2012/02/25 22:03
okiさん
自転車は原則、車道走行。
ただ、歩道が区画されて、歩行者の道と自転車道が併進している場所も多いです。
それと、降雪の多い時期は、本当に車道自体狭くなっているし、まして歩道なんて、歩行者ですら、歩くのに難儀する始末で、わざわざ狭い車道を歩こうとする人も結構いる。
そんな状態ですから、自転車は冬の間はほぼ封印。
たまに天気が良くて、路面の凍結が消え去った折り、ここぞとばかり、隙を見て走るんです。
中村正義さんの展覧会!
彼が水俣病を題材の絵を描いていたなんて、初耳。
実物を見たい!
投稿: やいっち | 2012/02/29 20:38