部屋の灯り
今、そろそろ日も暮れようかという、夕方と呼ぶのも躊躇われる午後の五時過ぎ。
夕暮れの兆しは幾分和らいだ日差しに嗅ぎとれるが、さりとて茶の間の灯りを灯すのも早すぎる気がする。
つい、窓外の、田畑や駐車場、車道越しに散見される家々の様子を窺ってしまう。
何となく、近隣で真っ先に家の灯りが煌々とし始めてしまうのが、気恥ずかしいのである。
明かりを灯すのに誰はばかる必要もないのに。
気恥ずかしいというより、悔しいという気分に近いようでもある。
街灯より先に部屋の電灯のスイッチを引くのはもっと口惜しい!
在宅の日は、この時間帯にネットに参入する。
キーボードにタッチしたり、モニター画面の文字を読み取ったり、何をするにも明るさが必要なのである。
その前に、読書の時間を持つ。
日に読書に充てられる時間は乏しい。
春から夏場、秋口にかけては雑草退治やら庭・畑仕事、晩秋は落ち葉掃除やら剪定・刈り込み作業、そして冬ともなると、雪、雪、雪、もう頭の中は除雪などのことでパンパンである。
読書は作業を終え、ロッキングチェアーに身体を預け、仮眠を取る間際の、ある意味、睡眠導入剤(!?)のような役割を果たしていると言っても過言ではない。
大して読めないと分かっていても、とにかく本は手にしておきたい、座右の友として傍に置いておきたいのである。
読書のため、部屋の灯りではなく、先ずは茶の間の食卓兼書き物テーブルの上の蛍光灯スタンドを使う。
ほんのしばし読書するか、うっかり寝入って、ふと目覚めると、外はすっかり暮れなずみ、宵闇に町も田畑なども沈んでしまっている。
窓のカーテンはまだ閉めてはいないから、蛍光灯の光に茶の間は満たされ、我が輩の居住する部屋が外から丸見えだったりする。
別に覗かれたって、間抜けな顔で寝込んでいるのが目撃されるだけで、何の実害もないわけだが、シャイな本人としてみると、やはり気恥ずかしくて、慌ててロッキングチェアーから身を起こし、カーテンを閉める。
閉める最後の瞬間、チラッと外の様子を窺う。
当然ながら窓明かりの漏れている家が散見される。
土日じゃなく平日なので、お年寄りの家の明かりが早めに灯るのかな、と推測してしまいがちである。
でも考えてみるまでもなく、主婦が夕餉の準備を始めだしてもおかしくはないし、子供らが学校や塾・習い事、それとも遊びから帰ってきて、テレビを見たり、ゲームに興じたり、いずれにしても家の中は明かりに満ち始めてもおかしくはないのである。
逆に茶の間という一室しか明るくする必要がないのは、我が家のような一人住まいの家の証左なのであろう。
宵闇迫る頃、このように明かりをどんなタイミングで灯せばいいのかに悩むなんて、まあ、愚かしい限りである!
| 固定リンク
「駄洒落・戯文・駄文」カテゴリの記事
- 沈湎する日常(2023.02.23)
- ボールペン2本 謎の行方不明事件(2022.10.16)
- 真相は藪……納屋の中(2022.07.30)
- 芽吹きの庭や畑で庭仕事(2022.04.21)
- 灯油ストーブを25度に設定したら…(2021.07.23)
コメント
お久しぶりです
一人暮らし暦数年、確かに居る部屋しか電気は付けませんねえ。薄暗い方が落ち着きます。
ウチにはテレビも無いですし、家に居るときの遊びって読書くらいかもです。
男の人はあちこちの電気を付けっぱなしの方が多いような…一人暮らしでもそういう方が多いのかと…偏見でしょうかね(笑)
まだまだ寒いですが、お元気でお過ごしください。
投稿: 三日月 | 2012/02/14 21:45
三日月さん!
ホント、思いっきり久しぶりです。
昨日がヴァレンタインデーだから、拙ブログを久しぶりに覗いてやろうと思われたのでしょうか?
三日月さんが来てくれたこと自体、ヴァレンタインプレゼントです!
テレビがない暮らしだとか。
テレビなしでも済む、充実した日々を送ってらっしゃるのかな。
我が家は昔ながらの農家風の家なので、維持するだけで大変なんです。
せめて電気代だけでもって、せこいかな?
また遊びに来てくださいね。
投稿: やいっち | 2012/02/15 21:00