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2012/02/20

ザマを見やがれ!

 カップがオレの手を離れた。
 取っ手だけを残して潰え去った。
 カップの本体は、オレの足元で無惨な姿を晒していた。

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 カップの哀れな末路。

 散々こき使われて、その使命を全うした、そう言い聞かせておこうか。

 …ン? 一体、誰に言い聞かせようと云うのか。
 カップに? オレに? 世間に?

 

 カップはオレから逃げようとしていた。
 オレの手に握られるのを嫌がっていたことは、オレだって薄々気づいていた。
 お湯や珈琲を湛えるだけならともかく、冷えたお茶や牛乳を電子レンジで温める、そんな道具として酷使されることに我慢がならなかったのだ。

 でも、オレは認めたくはなかった。
 カップにはあの頃のオレの思い出が満たされていた。
 乾き切った陶土の隅々にまで、恋に明け暮れた青春の汗が染み込んでいた。

 床に散らばったカップの破片を呆然と眺めているうち、その光景がオレへの当てつけに思えてきた。
 お前はもう終わった人間なのだとあざ笑っている。
 奴は、オレのことを、オレの思い出にしがみつく腐れ切った根性をあげつらっている。

 過去などに囚われず、前へ進め、そんな声など微塵もない。

 オレは形だけの人間、魂の脱け殻、腑抜けとなり、晒し者となって 世にのさばってやる、そう決心してやった。

 オレは破片を一つ残らず拾い上げた。
 粉塵さえも見逃さなかった。
 欠片を組み上げ、形だけは原型を再現してやった。

 粉々となってまでカップの奴がオレをあげつらっているというのなら、オレはオレで奴に復讐してやったのだ。

 そう、オレは形だけの人間、魂の脱け殻、腑抜けとなり、晒し者となって 世にのさばってやる、そう決心してやったのだ。

 ザマを見やがれ! だ。


(本稿は、先日の日記「 愛用のカップがこわれた 」の番外編です!)

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コメント

物に対する思いは、
まったく人の側からの思い込みでできているのですよね。
カップを使う人がいなくなれば、
カップはカップでさえもなくなります。

カップは「さよなら」も告げないで割れます。
カップはカップでなくなりましたが、無惨でも、哀れでもなく。
カップは形を変えただけ、カップでなくなっただけ、
壊れるの自分ですよね。

人は割れたカップに「さよなら」をしなければなりません。
もちろん、カップを使う自分に「さよなら」です。
壊れるの自分ですよね。
カップは壊れません。

いろいろヒントありがとうございます。

投稿: 青梗菜 | 2012/02/20 21:26

青梗菜さん

カップは、どんなに大切に使っても、いつかはなくなるか、壊れてしう。
形あるものの宿命ですね。
このことは、命あるものであっても同じ。
というより、人間(生き物)でこそ切実に当てはまる。
カップは自らが身を持ってそういった真実を示してくれたのでしょうね。

…なんて、大袈裟ですね。

投稿: やいっち | 2012/02/21 21:14

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