ランボー 共感覚の世界?
相変わらずの雪の日々が続いている。
朝、恐々カーテンを引き、外の様子を窺う。
雪! 前夜よりグッと積雪が増しているのを見せつけられる。
実際には、窓の外を確かめずとも一面の銀世界だということは分かっている。
何も、前日のあれだけの雪が一晩であっさり融ける、なんて夢のようなことなど起きるはずがない、なんてことじゃない。
カーテン越しに、あるいは磨り硝子越しにに、外の世界が白々しくなっていることで雪の風景が広がっていることは嫌でも察せられるのである。
分からないのは、積雪の具合、どれほど新規に夜のうちに降ったか、なのだ。
在宅の日は、日に何度も除雪。
庭の中はもう雪の山になっていて、新たに積もった雪の持って行き場がなくなっている。
余儀なく、融雪装置の設置されている、車道脇の溝に持って行くのだが、その遠いこと!
夕刻には、除雪でヘトヘトである。
雪掻きは肉体労働そのものなので、汗だくになる。
作業を終えたら、即、下着を替えて洗濯。
まだ夜の雪掻き作業には迫られていないが、時間の問題だと覚悟している。
さて、昨日の日記が、途中で切れていた。
共感覚の話でふと、ランボー(Rimbaud)のことを連想したのだ。
となると、話は長くなるだろう、どうしようか迷っているうちに文の続きが切れちゃったのである。
ランボーの母音の詩は有名だ。
詩に疎い小生もかの詩には衝撃を受けた。
ショックの正体も分からず、ただ戸惑うばかりだったのを思い出す。
Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Oは青。
詩の言葉や表現を科学で散文的に解釈を試みるほどに興醒めな営為はないと、無粋な小生だって承知している。
ただ、それはそれとして、興味本位に妄想を逞しくするのをちょっと楽しんでみたいだけである。
と、ここまで書いてもう、少々長くなりすぎている。
いつかまた折りをみて続きを書けたらと思う。
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