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2012/02/23

『ストロングボーとイーフェの結婚』とケルト

 鶴岡 真弓 著の『 ケルト/装飾的思考 』(ちくま学芸文 庫)を読んでいたら、興味深い絵画作品に遭遇。

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← マクリース画『ストロングボーとイーフェ(またはイーファ、オイフェ)の結婚』(The Marriage of Strongbow and Aoife (1854) by Daniel Maclise (1906-1870) Photo (c) National Gallery of Ireland)

 作品自体が見事だとか好みに合っているとかではない。
 ケルト民族、あるいはアイルランドの歴史において、屈辱と不遇、艱難辛苦の時代を描く、テーマにおいてエポックな作品なのである。


各地方の諸王の間ではバイキング戦争後も抗争が絶えず、1166年、レンスター王ダーマッ ト・マクマローは敵に追われイギリス王ヘンリ一2世に援助を求めた。このことはかねてか ら土地を求めていたアングロ・ノルマン人にとっては好都合であった。求めに応じて1169 年、海を渡ったアングロ・ノルマン貴族ペンブルーク伯(ストロングボウ)はマクマローの 王国を回復し、現地にとどまってマクマローの死後レンスター王を継いだ。それまで自らア イルランドを征服にのりだすことを躊躇していたヘンリー2世は、ストロングボウがこの国 で勢力を拡大していくのを恐れ、1171年アイルランドに赴きアングロ・ノルマン貴族とアイ ルランド諸王達に忠誠を誓わせ、またたくまに征服していった。またその後継者ジョン王に アイルランド大守の称号を与え、ジョン王は恒久的な中央政府を組織した。このことは英国 のアイルランドに対する政治的介入の始まりだった」。

 イーフェはアイルランドの レンスター王ダーマッ ト・マクマローの娘。
 レンスター王ダーマッ ト・マクマローは敵に追われイギリス王ヘンリ一2世に助けを求めた。
 敵に追われたからと、他民族の援助を請う、そのために娘を結婚させたのだった。
 つまり、王領の継承権約するため、人質として娘を差し出した。

 こうした愚策が、ついには 英国 のアイルランドに対する政治的介入の始まりという結果を招く。

 上掲の画像は、その婚礼の場面を描いたものである。

 詳細は省くが、 鶴岡 真弓 著の『 ケルト/装飾的思考 』にあるように、マクリースの作品にはケルトのモチーフが多数、描き込まれている。
 ケルト世界への関心は、一方においては、ヨーロッパにおけるギリシャ・ローマ文化の流れとおは異なる源流に淵源しているそのことによるが、同時に縄文文化との相関を思わざるを得ないからでもある。

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