仕事の締めは洗車
雪に悲鳴をあげる日々が続いている。
昨日の仕事を夜中の一時過ぎに切り上げ、日報の売上の計算をし、洗車などをすませ、帰宅したのが、丑三つ時頃。
そうそう、洗車はタクシードライバーの義務。
真夏だろうが、現下のような真冬だろうが、仕事で使う愛車(担当の車)を洗うのが、その日の最後の仕事。
営業所の駐車場の片隅で、一人で黙々と(あるいは同僚らとお喋りしつつ)車を洗い上げる。
車の最後のチェックの意味合いもある。
車体に思わぬ傷を見つけたり、球切れに気づいたりすることもある。
我が社には、洗車機なんて気の利いたものはないので、すべては手作業である。
東京在住時代、前の会社では、洗車を一手に引き受ける人が何人かいた。
当然ながら、ただじゃない。
一回に付き、千円を払う。
千円は払う方にとっても安い値段じゃない。
でも二十時間以上働き通したものの正直な気持ちからすると、千円を払っても、一刻も早く帰りたいわけである。
中には、全く寝ないで働き詰めだったりするから、そうした専門家(?)がいるのは有り難いのである。
また、千円を払っても惜しくないほどの売り上げが、あるってことの証左でもある。
しかし、富山にあっては、事情がちがう。
無論、個人差は大きいのだが、平均して東京とは段違いに売り上げが少ない。
それ以上に、営業のスタイルが根本的に異なっている。
東京は(これも個人差が大きいのは当然のこととして)、流しがメイン、富山(などの地方)は、迎車(無線)配車がメイン(中には個人的に顧客を持っている人もいるが、例外だと思っていいだろう)。
営業のスタイルの違いは、仕事の遣り方と相関する。
流し営業だと、ほぼ終日、走りっぱなし。
無線営業だと、営業所や駅、病院、ホテルなどで客待ち。
要は、待機時間が長くなるわけだ。
待つのも神経が疲れるが、街を流して回るよりは、疲れの度合いは、幾分は緩い。
仕事の最後に洗車のノルマが課せられていても、それほど苦痛ではない(?)わけである。
尤も、洗車の時間も規定の営業時間に含まれるわけで、洗車を洗車機でさっと仕上げ、それで浮いた時間を少しでも本来のタクシーの営業に、回した方が、売り上げがあがり、会社としてのメリットが大きい、という考え方もありえる。
それはさておき、冷たい水で車を洗い上げるのは、結構、きついものである。
冷水に触れた瞬間、手先が痺れる。脳天にキーンと来る。
だからといって、グローブはしない。水は冷たいが、案外と慣れるものである。
タオルを何度も絞るので、腕っ節だけは、強くなった気がする。
日頃、運動の類は一切しない自分には、適度な運動になっている、という考え方もありえる。
気休めに過ぎないけれど。
そして、降りしきる雪の中、帰宅したら、そこにはビックリするような光景が待っていたのだった。
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