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2012/01/28

献体 遺体(遺骨)なき葬儀

 過日、来訪者との雑談の中で献体のことが話題に出てきた。
 ある七十代早々の方が亡くなられた。
 お寺の住職さんがお勤めに行ったら何だか家の中がごたごたしている。
 まあ、誰かが亡くなったりすれば多少は慌ただしくなるのも取り立てておかしなことでもない。
 が、その家での混乱は普通ではなかったとか。
 というのも、亡くなられた方が家のかたたちに全く相談も了解もなしに、(大学の)病院に(それとも、しら百合会に)献体の約束をしていたというのだ。
(通夜か葬儀の前に)係の人が遺体の引き取りに来て初めて家族らが知った、というのである。

 当然ながら家族親族一同、青天の霹靂でてんやわんやだったとか。
 結局は契約(約束)、つまりは生前の当人の意志に従い遺体は引き取られていった。
 困ったり当惑したり混乱したのは遺された家族らであろう。
 遺体もなしに通夜、葬儀。
 確か浄土真宗の門徒の家。
 葬儀のあと、遺骨を引き取り、骨壷をお墓に納め、遺骨の一部を仏壇に安置し、つまりは荼毘に付してこそ、とりあえずは心の収まりというか、一定の節目を自分(等)の中に持てるというもの。
 遺体もなしにどう収まりを付ければいいものやら、途方に暮れるばかりだったろうと察しは付く。
 上記したように現今にあっては、そんなに高齢での逝去ではない。
 詳しい事情は分からないが、あるいは本人にしても突然の死だったのかもしれない。
 折を見て話すつもりだったのかもしれない。
(まさか、当局との約束を忘れていた、ってことはないだろうが。)

 献体は立派な社会的意義のある行為だという点に異論はない(だからといって、小生が手を挙げるとは言いかねるが)。
 肝腎なのは、事前の家族(あるいは親族)等との徹底した相談と、その上での了解だろう。
 そうでないと、遺された者たちが徒に混乱するばかりなのは明らかのようだ。
 それと、献体を受ける側にしても遺族等への配慮がどのようなものなのか改めて再検討が必要なのかもしれない。
 何たって、遺体が返却されるのは、引き取ってから2年後なのだ。
 その間、遺体(遺骨)のない遺族には、いたたまれない、落ち着かない日々が続くやもしれないのだ。
 遺髪か何か、骨壷の中に、シンボルとなるような何かを納めて、当面であっても、心を慰められるような方法を考えられないものだろうか?

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