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2012/01/11

ル・クレジオの中の「アコマ」(後編)

アコマ・プエブロ - Wikipedia」を参照する。

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← 土屋 光逸 作『高輪 泉岳寺』(木版) 土屋 光逸(つちや こういつ 明治3年<1870> - 昭和24年<1949>)は、「川瀬巴水らと並んで新版画を代表する風景版画家」。つい先日、東京在住時代のこと、特に山手線に新駅ということで、新駅名の候補としても有力かもしれない高輪・泉岳寺が話題に上ったので、大好きな版画の泉岳寺を見てもらいたくなった。泉岳寺は、事件に関連する頃でなくても、年中、線香の煙が絶えない…。

 冒頭に、「アコマ・プエブロ(IPA :[ˈækəmə] ;西部ケレス方言:Aa'ku ;ズニ語 :Hakukya)は、アメリカ合衆国ニューメキシコ州中部の367フィート(112メートル)の砂岩のメサの頂上に建設された、プエブロ・インディアンのアドベ建築の集落である。「スカイシティ」、「天空都市」としても知られる」とある。
 そうそう、『地上の見知らぬ少年』 の中でも、天空都市という脚注があったっけ。

「アコマの人々は10世紀以前に北から南下してアコマ・プエブロを建設したと信じられている。アコマ・プエブロは合衆国で最古の継続して居住されている共同体と見なされている。メサの断崖の上に建つプエブロ集落は侵略者に対する防衛に優れており、現在は車道を使って上り下りができるが、かつては、砂岩に掘られた手製の階段でしか出入りする方法がなかった」とか、「「アコマ」という名前の起源にはいくつかの解釈がある。アコマという名前は、ケレス語の単語で「アーク」("aa'ku")が「白い岩」、「メ」("meh")が「人々」を意味するため、「白い岩の人々」から来ていると言われている。また「アーク」は「備える」を意味する単語「ハーク」("haaku")に由来するため、メサの上の防御に適した場所を意味しているとする説もある」は、やはり押さえておきたい。

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→ 「佐藤しのぶ」 月曜日、祭日で、自宅でのんびりテレビを見るともなしに観ていたら、アヴェ・マリア ( Ave Maria) を歌う彼女が映った。被災地を想い、格別な思いで歌う。恐らく、「NHKナゴヤニューイヤーコンサート2012」(再放送)の一場面。彼女は、間もなく、我が富山市へやってくる。「佐藤しのぶソプラノ・リサイタル」(2012年01月14日(土)  富山県民会館)が催されるのだ。

 以下の悲劇的な歴史は、ただ銘記するしかない:

ヨーロッパ人は1540年に初めてアコマ・プエブロと遭遇した。1598年、フアン・デ・オニャーテがヌエバ・エスパーニャ(現メキシコ)から遠征し、現在のニューメキシコ州を含むリオ・グランデ川上流域のスペイン王室による領有を宣言し、サンタフェ・デ・ヌエボ・メヒコと名付けた。同年10月、スペイン人の探検隊がアコマ・プエブロから食糧を徴収しようとした。冬を越すための貴重な食糧の備蓄を守ろうとしたアコマの人々は抵抗し、オニャーテの甥フアン・デ・サルディバルを含む13人の隊員が殺されるという事件が起きた。翌年1月オニャーテは報復し、800人のアコマの人々が殺害され、500人の女性と子供が奴隷にされた。オニャーテはさらに生き残った25歳以上の男性80人全員の片足を切断させた。

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← 東京在住の時、最後の8年に渡って使っていたマグカップ(と同型のもの)。父母らが上京した際(かの曙関が当時の新高輪プリンスで結婚した年に買った。そのホテルで食事しようとしたら、披露宴に多くの人たちが次々にやってくるのだった)、高輪・泉岳寺の門前にある小さな土産物店にて小生が買ったら、母(父?)も真似して買った。小生のものは、数年前、落として取っ手が剥がれてしまった。それでも、愛着があって、取っ手をアロンアルファでくっ付け、使い続けたのだ(「無精庵投句の細道駄句拾遺」参照)が、08年の帰郷(引越し)の際に、他の家庭用品などと共に廃棄してきた。…でも、郷里には母(それとも父)が買っていた同じものが全く手付かずのまま安泰。家には、もっと立派な湯呑みが幾つもあるが、今も、この泉岳寺の門前にある土産物屋で買った湯呑みを愛用している。

 北米の先住民(インディアン)の悲惨な歴史については、既に本ブログでも縷々、綴ったことがある:
『リムーヴァルズ 先住民と十九世紀アメリカ作家たち』を読む

 ル・クレジオは、インディオやインディアンなどのこうした歴史をも踏まえて、創作活動を続けていたのだろう。

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